護良親王

もりよししんのう

護良親王

護良親王|刀を噛み折る壮絶な最期! 護良親王の血塗られた怨念

基本情報

名前
護良親王
読み
もりよししんのう
生きた時代
護良親王(もりよししんのう、もりながしんのう)は、鎌倉時代末期から建武の新政期の皇族・僧侶・武将・天台座主・征夷大将軍
生前の立場
護良親王(もりよししんのう、もりながしんのう)は、鎌倉時代末期から建武の新政期の皇族・僧侶・武将・天台座主・征夷大将軍
主な伝承地・ゆかりの地
明治時代には、彼の魂を慰めるために幽閉場所(鎌倉宮)に神社が建てられ、今でもその無念を偲ぶことができます
死・怨霊化の経緯
のち、中先代の乱の混乱の中で、足利直義の命を受けた淵辺義博によって殺害された
祟り・伝承
その首の凄まじい形相に、刺客すら恐れをなして首を捨てて逃げました
区分
歴史上の人物・怨霊伝承

01

倒幕の英雄からの「転落」

護良親王(もりながしんのう)は、父・後醍醐天皇を助けて鎌倉幕府を滅ぼした最大の功労者の一人です。しかし、武士のトップである足利尊氏と激しく対立した結果、なんと実の父である天皇に見捨てられ、尊氏の弟・足利直義(ただよし)の管理する鎌倉の狭くて暗い「土牢(幽閉所)」に閉じ込められてしまいます。

倒幕の英雄からの「転落」

02

刀を噛み切る「凄絶な暗殺」

1335年、鎌倉に北条氏の残党が攻めてきた際、足利直義は「親王を奪われるくらいなら」と、淵辺義博という刺客を送って護良親王を暗殺させます。『太平記』によれば、親王は必死に抵抗し、最後は淵辺の刀の先を「ガシッと歯で噛み折った」まま首を斬り落とされたと描写されています。その首の凄まじい形相に、刺客すら恐れをなして首を捨てて逃げました。

刀を噛み切る「凄絶な暗殺」

03

『太平記』で語られた怨霊伝説

あまりにも無残で凄惨な死であったため、護良親王は強力な怨霊になったと噂されました。『太平記』では、彼の怨霊が後醍醐天皇の夢枕に立って恨み言を述べたり、足利家に災いをもたらしたりする恐ろしい存在として描かれています。明治時代には、彼の魂を慰めるために幽閉場所(鎌倉宮)に神社が建てられ、今でもその無念を偲ぶことができます。

『太平記』で語られた怨霊伝説

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