讃岐の海と返された巻物を背にした崇徳天皇

すとくてんのう

崇徳天皇

崇徳天皇|渾身の写経を突き返され、「魔王」へと闇堕ちした元天皇

基本情報

名前
崇徳天皇(すとくてんのう)/崇徳院
読み
すとくてんのう
生きた時代
平安時代後期(院政期)
生前の立場
第75代天皇、のちに上皇
主な伝承地・ゆかりの地
白峯神宮(京都府)、白峯陵(香川県)
死・怨霊化の経緯
渾身の写経を送ったら「呪いが入ってそうだから」と突き返される
祟り・伝承
「日本国の大魔王になってやる」伝承が描く壮絶な闇堕ち
区分
三大怨霊

01

渾身の写経を送ったら「呪いが入ってそうだから」と突き返される

崇徳天皇の人生の歯車が大きく狂ったのは、「保元の乱(ほうげんのらん)」という身内の権力闘争でした。 彼はこの戦いで、弟である後白河天皇の勢力に敗北し、讃岐国(現在の香川県)へと島流しにされてしまいます。天皇経験者が流罪になるのは、約400年ぶりの大事件でした。

讃岐に流された崇徳天皇は、仏教に深く帰依し、戦いで亡くなった人々の供養と、自分自身の反省、そして極楽往生を願って、お経(五部大乗経)を書き写し始めたと伝えられます。三年もの歳月をかけてこの写経を完成させ、都の寺に納めてもらおうと、京都へ送ったというのです。香川県立図書館の資料でも、京都の安楽寿院への奉納を願ったものの、許されなかったと紹介されています。

元天皇が身を慎み、三年がかりで書いた渾身の写経。普通なら「そこまで反省しているなら……」と受け取りそうなものですが、語り継がれる朝廷側の対応は冷酷でした。「いや、これ絶対に呪いがこもってるでしょ」と疑われ、なんとその写経は受け入れられず、讃岐へ突き返されたというのです。

心を込めて書いたお経を、着払いで突き返されるような屈辱。 崇徳天皇の怒りと絶望は、後世の物語の中で、ここから取り返しのつかない方向へと向かっていきます。

渾身の写経を送ったら「呪いが入ってそうだから」と突き返される

02

「日本国の大魔王になってやる」伝承が描く壮絶な闇堕ち

渾身の写経を拒否された崇徳天皇はどうなったのでしょうか。ここから先は、後世に書かれた軍記物『保元物語』などで、すさまじい「闇堕ち伝説」として語り継がれていくことになります。

伝承によれば、写経を突き返された崇徳天皇は激怒し、「こうなったら、日本国の大魔縁(大悪魔)になってやる!」と宣言。なんと自らの舌先を噛み切り、溢れ出る血を使って、突き返された写経に「皇を取って民とし、民を皇となさん(天皇家を平民に引きずり下ろし、平民を天皇にしてやる)」と呪いの誓いを書きなぐったとされています。

さらに彼は、それから死ぬまで一切髪を切らず、爪も伸ばし放題にし、生きながらにして「天狗」や「夜叉」のような恐ろしい姿へ変わり果てたといいます。 極楽往生を願う真面目な仏教徒から、怒りのあまりセルフプロデュースで魔王のビジュアルへと変貌していく姿。史実かどうかは別として、後世の人々が「それほどまでに崇徳院は怒っていた」と想像するほど、その怨念が強烈に語られるようになったことが分かります。

そして崇徳天皇が讃岐で崩御(死亡)した後、都では大火事や皇族らの死が相次ぎ、やがて源平の争乱によって世の中がひっくり返ります。『愚管抄』にも崇徳院らの怨霊を恐れたことが記され、安元3年(1177年)には鎮魂の措置が取られました。「ほら見ろ! 崇徳院が祟ってるんだ!」――そんな恐怖が広がったと考えると、後世の魔王伝説が育つ土壌も見えてきます。もちろん、災害や争乱が本当に怨霊の仕業だったという意味ではありません。

「日本国の大魔王になってやる」伝承が描く壮絶な闇堕ち

03

700年経ってもまだ怖い。明治時代にわざわざ京都へお迎えされる

一度「超特大の怨霊」として恐れられるようになった崇徳天皇の影響力は、長く語り継がれました。朝廷は怒りを鎮めようと、「讃岐院」という呼び名を「崇徳院」に改め、お祀りするなどの措置を取ります。現代風にいえば、あの手この手でご機嫌をとるような対応です。こうして、崇徳院の無念を慰める営みは、その後の時代へも引き継がれていきます。

その時間の長さを示す、分かりやすい出来事があります。時が流れ、幕末。孝明天皇は崇徳天皇の御霊を京都へ迎えて祀ろうとしますが、その実現前に崩御します。そして、その遺志を継いだ明治天皇が、讃岐の白峰御陵から京都へ御霊を迎え、慶応4年(1868年)9月6日、現在の白峯神宮に祀りました。白峯神宮の公式由緒によれば、御霊を慰めるとともに、国難に際して加護を祈る意味もあったのです。

崇徳天皇が亡くなってから、実に700年以上が経過していました。武士の時代が終わり、近代国家へ生まれ変わろうとする時にも、皇室は平安時代に配流された元天皇の御霊を、わざわざ京都へお迎えしたのです。単に「まだ怖かったから」とだけ言い切れる話ではありません。それでも、写経を突き返され魔王になったと語られた人物が、700年以上後にも国家の節目で手厚く祀られる。この時間のスケールに、日本の怨霊信仰の大きさと、無念の死者を忘れない執念深さが垣間見えます。

700年経ってもまだ怖い。明治時代にわざわざ京都へお迎えされる

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