01
史実:有能な官僚を襲った「部下の密告」
文屋宮田麻呂(ふんやのみやたまろ)は、皇族や大貴族のように国を動かすような大物ではなく、地方の長官などを歴任する有能で実務的な中堅官僚でした。
しかし843年、彼の人生を狂わせる事件が起きます。彼のもとで働いていた部下が、突然「宮田麻呂が武器を集め、反乱を企てています!」と朝廷に密告したのです。実際に宮田麻呂の邸宅を捜索すると、武器(武具)が見つかってしまいました。


ふんやのみやたまろ
文屋宮田麻呂
01
文屋宮田麻呂(ふんやのみやたまろ)は、皇族や大貴族のように国を動かすような大物ではなく、地方の長官などを歴任する有能で実務的な中堅官僚でした。
しかし843年、彼の人生を狂わせる事件が起きます。彼のもとで働いていた部下が、突然「宮田麻呂が武器を集め、反乱を企てています!」と朝廷に密告したのです。実際に宮田麻呂の邸宅を捜索すると、武器(武具)が見つかってしまいました。

02
見つかった武器は、彼が以前に新羅(朝鮮半島)の海賊対策などの実務で必要として個人的に保管していたものに過ぎないとする見方が強いのですが、当時は藤原氏による他氏族排斥の動きが激しい時期でした。
「武器を持っていた=謀反の証拠」として無理やり罪をでっち上げられ、彼は厳しい尋問の末、伊豆国へ流罪(島流し)となってしまいました。真面目に働いていたのに、部下の裏切りと政治の都合で全てを失ってしまったのです。

03
配流先で無念のうちに没した宮田麻呂ですが、彼の物語は死後に輝き(?)を放ちます。
彼の死後、都で疫病が流行すると、人々は「宮田麻呂の祟りだ!」と恐れました。彼は皇族でもなく歴史を揺るがすような大事件の主役でもありませんでしたが、「無実の罪で流罪にされた可哀想な人」という分かりやすい悲劇性が、民衆の同情と恐怖を誘ったのです。結果として彼は、崇道天皇(早良親王)や井上内親王といった超大物の怨霊たちと肩を並べ、京都の御霊神社で「八所御霊」のレギュラーメンバーとして永遠に祀られることになりました。

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