伊予親王

いよしんのう

伊予親王

伊予親王|最愛の息子を殺した天皇の恐怖。伊予親王の絶望

基本情報

名前
伊予親王
読み
いよしんのう
生きた時代
783年〜807年
生前の立場
平安時代前期
主な伝承地・ゆかりの地
皇族、桓武天皇の皇子
死・怨霊化の経緯
平安京、川原寺
祟り・伝承
伊予親王の変、死後の復位・贈位、御霊伝承
区分
藤原吉子、平城天皇、嵯峨天皇

01

史実:完璧すぎた皇子の悲劇

伊予親王(いよしんのう)は、桓武天皇の数いる子供たちの中でも非常に優秀で、天皇から深く愛されていた皇子でした。

しかし807年、藤原宗成という人物から「伊予親王が反乱を企てている」という密告が入ります。実はこれ、宗成自身が伊予親王に「反乱を起こしましょう」と持ちかけたものの親王が拒否したため、自分が罰せられるのを恐れて親王に罪をなすりつけた逆ギレの密告でした。さらに背後には、親王の優秀さを邪魔に思った当時の権力者(平城天皇の側近など)の陰謀があったとされています。

史実:完璧すぎた皇子の悲劇

02

幽閉と、母子での服毒自殺

愛する息子を信じたかった桓武天皇(当時はすでに崩御し平城天皇の代になっていたとする記録も交錯しますが、朝廷の判断として)でしたが、周囲の圧力に抗いきれず、親王とその母(藤原吉子)から身分を剥奪し、川原寺(奈良県)に幽閉してしまいます。

無実の罪で罪人として扱われる屈辱に耐えきれず、伊予親王と母の吉子は、幽閉先で一切の飲食を絶ち、最後は服毒して共に命を絶ちました。

幽閉と、母子での服毒自殺

03

怨霊伝承:天皇を病に追い込んだ祟り

優秀な皇子を無実の罪で死に追いやったことは、朝廷にすさまじい祟りをもたらしたと信じられました。

伊予親王の死後、京都では悪疫が流行し、関係者が次々と変死します。天皇も病に倒れ、「これは伊予親王の怨霊の仕業だ」という神託(占い)が下りました。怨霊をひたすら恐れていた朝廷は、親王の無実を認め、親王の位を回復して名誉を挽回させるという対応に追われました。彼もまた、京都の御霊神社で祀られる「八所御霊」の強力な一柱となっています。

怨霊伝承:天皇を病に追い込んだ祟り

SAME CATALOG

同じ図鑑のほかの記事