01
史実:壇ノ浦での壮絶な最期
1185年、源義経の奇襲と巧みな戦術により、壇ノ浦で平家一門の滅亡が決定的となりました。
総司令官であった平知盛(たいらのとももり)は、安徳天皇や一族の女性たちが次々と海へ身を投げるのを見届けると、「見るべき程の事は見つ(私が見届けるべきものは、すべて見届けた)」という名言を残します。そして、遺体が海に浮かんで敵に晒されるのを防ぐため、巨大な「碇(いかり)」を頭上(あるいは背中)に担ぎ、重りにして波間に沈んでいきました。


たいらのとももり
平知盛
01
1185年、源義経の奇襲と巧みな戦術により、壇ノ浦で平家一門の滅亡が決定的となりました。
総司令官であった平知盛(たいらのとももり)は、安徳天皇や一族の女性たちが次々と海へ身を投げるのを見届けると、「見るべき程の事は見つ(私が見届けるべきものは、すべて見届けた)」という名言を残します。そして、遺体が海に浮かんで敵に晒されるのを防ぐため、巨大な「碇(いかり)」を頭上(あるいは背中)に担ぎ、重りにして波間に沈んでいきました。

02
知盛の猛将としてのカリスマ性は、のちの室町時代に作られた能の演目『船弁慶(ふなべんけい)』で、すさまじい怨霊伝説へと昇華します。
平家を滅ぼした源義経が、兄の頼朝に追われて大物浦(兵庫県)から船で逃げようとした時のこと。突然海上が嵐になり、波間から甲冑を着た平知盛の怨霊が立ち上がりました。「義経、お前を海の底へ沈めてやる!」と、知盛は薙刀を振り回して義経の船に襲いかかってきたのです。

03
義経も負けじと刀を抜いて怨霊と斬り合いますが、幽霊相手に剣術は通じません。
船が沈められそうになったその時、武蔵坊弁慶が割って入り、数珠をジャラジャラと擦り鳴らして必死に呪文(経文)を唱えました。祈りの力に圧倒された知盛の怨霊は、恨みの声を残しながら、再び白波の立つ海の底へと消えていったのです。呪いや病気ではなく、「嵐の海で薙刀を振り回して物理攻撃を仕掛けてくる」という、最高にアクション映えする怨霊です。

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