淳仁天皇

じゅんにんてんのう

淳仁天皇

淳仁天皇|脱走失敗の無念。淳仁天皇「淡路廃帝」の怨霊伝説

基本情報

名前
淳仁天皇
読み
じゅんにんてんのう
生きた時代
淳仁天皇(じゅんにんてんのう、733年〈天平5年〉- 765年11月10日〈天平神護元年10月23日〉)は、日本の第47代天皇(在位:758年9月7日〈天平宝字2年8月1日〉- 764年11月6日〈天平宝字8年10月9日〉)
生前の立場
淳仁天皇(じゅんにんてんのう、733年〈天平5年〉- 765年11月10日〈天平神護元年10月23日〉)は、日本の第47代天皇(在位:758年9月7日〈天平宝字2年8月1日〉- 764年11月6日〈天平宝字8年10月9日〉)
主な伝承地・ゆかりの地
漢風諡号は明治時代になってから付けられたもので、古文書では廃帝(はいたい)または淡路廃帝(あわじはいてい、あわじはいたい)と呼ばれるが、歴代に加えた史書も存在する
死・怨霊化の経緯
流刑地で亡くなり、後世に怨霊として恐れられた
祟り・伝承
流刑地で亡くなり、後世に怨霊として恐れられた
区分
歴史上の人物・怨霊伝承

01

仲麻呂の乱の「とばっちり」

淳仁天皇(じゅんにんてんのう)は、強大な権力者である藤原仲麻呂に推されて天皇になりました。しかし、仲麻呂が称徳天皇(孝謙上皇)らと対立してクーデターを起こし、敗死してしまいます。淳仁天皇は直接関与していなかったにもかかわらず、後ろ盾の罪を問われ、天皇の座を降ろされて淡路島へと流刑にされてしまいました。

仲麻呂の乱の「とばっちり」

02

脱走の失敗と「不審な死」

淡路島での生活は過酷で、耐えかねた淳仁天皇はなんとか島から脱走しようと試みます。しかしすぐに捕まってしまい、その翌日、突如として亡くなってしまいました。公式には病死とされていますが、「暗殺された」とする説が有力であり、この無念すぎる死が強烈な怨念を生み出すことになります。

脱走の失敗と「不審な死」

03

怨霊の恐怖と、遅すぎた名誉回復

彼の死後、都では疫病や日食などの天変地異が相次ぎました。人々は「淡路廃帝の祟りだ!」とパニックになり、朝廷は慌てて彼のお墓を立派にし、天皇の霊を慰めようとしました。しかし、彼に「淳仁天皇」という正式な称号が贈られたのは、大友皇子と同じく明治時代に入ってからのこと。歴史の勝者に消された悲しき怨霊です。

怨霊の恐怖と、遅すぎた名誉回復

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