01
承久の乱の「超・強硬派」
順徳天皇(じゅんとくてんのう)は、父である後鳥羽上皇の「鎌倉幕府を倒す」という計画に最も熱心に賛同した超強硬派でした。彼は乱を起こすために自ら天皇の座を退き、上皇となって軍事行動の準備を進めましたが、北条政子の演説で結束した幕府軍の前にあっけなく大敗してしまいます。


じゅんとくてんのう
順徳天皇
01
順徳天皇(じゅんとくてんのう)は、父である後鳥羽上皇の「鎌倉幕府を倒す」という計画に最も熱心に賛同した超強硬派でした。彼は乱を起こすために自ら天皇の座を退き、上皇となって軍事行動の準備を進めましたが、北条政子の演説で結束した幕府軍の前にあっけなく大敗してしまいます。

02
乱の首謀者として、彼は日本海に浮かぶ佐渡島へと流刑にされました。いつか都へ帰れると信じていましたが、幕府の監視は厳しく、父・後鳥羽上皇も隠岐島で亡くなってしまいます。絶望した順徳天皇は、21年間の配流生活の末、自ら「絶食(または頭に焼石を乗せたという伝説もある)」を行って命を絶ちました。

03
強烈な恨みを抱いて死んだ彼の霊は、父の後鳥羽上皇とともに、鎌倉時代を通じて「最強の怨霊」として都の人々に恐れられました。幕府の有力者が病気になったり、都で争いが起きたりするたびに「佐渡の院(順徳天皇)の祟りだ」と囁かれ、鎮魂の儀式が何度も行われたのです。政治的敗北が怨霊を生む、中世日本の典型例です。

SAME CATALOG