井上内親王

いのえないしんのう

井上内親王

井上内親王|高貴な血筋ゆえに邪魔にされ、呪術の罪を着せられた皇后。母と息子が「同じ日の同じ時刻」に死ぬという不自然すぎる記録が、当時の朝廷の闇を物語る。

基本情報

名前
井上内親王
読み
いのえないしんのう
生きた時代
717年〜775年
生前の立場
奈良時代後期
主な伝承地・ゆかりの地
皇族、光仁天皇の皇后
死・怨霊化の経緯
奈良、五條、御霊神社
祟り・伝承
廃后、他戸親王との母子同日薨去、御霊信仰
区分
他戸親王、光仁天皇、桓武天皇

01

史実の記録:突然の「巫蠱(ふこ)」の疑い

井上内親王(いのえないしんのう)は、聖武天皇の血を引く非常に身分の高い皇族でした。彼女の夫である光仁天皇が即位すると皇后となり、息子の他戸親王(おさべしんのう)も皇太子に立てられます。

しかし772年、突然彼女に恐ろしい嫌疑がかけられます。夫である天皇を呪い殺そうと、呪術(巫蠱:人形に針を刺したり毒を使ったりする黒魔術)を行ったというのです。真相は闇の中ですが、歴史学的には、藤原氏などの有力貴族が自分たちに都合の良い別の皇子(のちの桓武天皇)を即位させるための「でっち上げ(陰謀)」であったとする説が有力です。

史実の記録:突然の「巫蠱(ふこ)」の疑い

02

露骨すぎる「母子同日死」の異常性

皇后と皇太子の座を剥奪された母子は、現在の奈良県五條市にある邸宅に幽閉されました。そして3年後の775年、二人はこの世を去ります。

正史である『続日本紀』には、母と息子が「同じ日の同じ時刻に亡くなった」と淡々と記録されています。伝染病でもない限り、健康な母と若い息子が全く同時に自然死するなどあり得ません。これは暗殺(毒殺)であったことを朝廷が暗に認めているような、異常で恐ろしい記録です。

露骨すぎる「母子同日死」の異常性

03

伝承の爆発:雷と疫病をもたらす最強の御霊へ

この露骨すぎる不審死の直後から、朝廷に災いが降りかかります。

光仁天皇の周辺で不幸が相次ぎ、都では疫病が大流行。さらに天候不順や落雷が続発しました。怯えた朝廷は「これは井上内親王の祟りだ」と認定せざるを得なくなり、彼女の遺骨を改葬し、皇后の位を返上するという異例の鎮魂を行いました。京都の御霊神社などで「八所御霊(強烈な8つの怨霊)」の一つとして祀られ、非業の死を遂げた高貴な女性の象徴として、現代まで恐れられ、かつ同情され続けています。

伝承の爆発:雷と疫病をもたらす最強の御霊へ

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