伴善男

とものよしお

伴善男

伴善男|完璧な陰謀だったはずが、想定外のところから綻びた。都を火の海にした野心家は、流罪の恨みを抱えたまま、空を飛ぶ怨霊として恐れられることになった。

基本情報

名前
伴善男
読み
とものよしお
生きた時代
生年不詳〜868年
生前の立場
平安時代前期
主な伝承地・ゆかりの地
大納言、右衛門督
死・怨霊化の経緯
平安京、伊豆国
祟り・伝承
応天門の変、流罪、後世の生霊伝承
区分
清和天皇、源信、紀豊城

01

史実の事件:自作自演の「応天門の変」

866年、平安京の朝堂院の正門である巨大な「応天門」が突然炎上し、焼け落ちました。

大納言であった伴善男(とものよしお)は、すぐさま「これは政敵である左大臣・源信の仕業です!」と朝廷に訴え出ます。源信は無実の罪で処罰されそうになりますが、ここで予想外の事件が起きます。

事件からしばらく後、町で子供同士が喧嘩をしていました。その親が飛び出してきて口論になった際、一方の親が「お前の主人の伴善男が、応天門に火をつけるのを俺は見たんだぞ!」と叫んでしまったのです。これが朝廷の耳に入り、善男の壮大な自作自演(放火)があっけなく露見。彼は一転して伊豆へ流罪となりました。

史実の事件:自作自演の「応天門の変」

02

伝承の誕生:流罪先から都へ飛んでくる「生霊」

栄光の頂点から、自らの謀略の失敗によって奈落へ落ちた伴善男。彼が配流先の伊豆で抱いた恨みは凄まじかったと伝えられています。

のちに成立した『宇治拾遺物語』などの説話集では、彼が死ぬ前から怨念を飛ばす「生霊」となった伝説が語られています。伊豆から京都へ、夜な夜な火の玉となって飛んで行き、自分を流罪にした者たちを呪い殺そうとしたというのです。自ら門に火を放った男が、最後は自分自身が「火の玉(怨霊)」になって飛んでくるという、非常に皮肉な伝承です。

伝承の誕生:流罪先から都へ飛んでくる「生霊」

03

「伴氏」という古代名族の終焉

伴善男の没落は、単なる一人の貴族の失脚ではありませんでした。

彼の出身である伴氏(大伴氏)は、神話の時代から天皇家を軍事的に支え続けてきた超名門の氏族でした。しかし、この応天門の変による善男の失脚を決定打として、伴氏は政治の表舞台から完全に姿を消し、代わって「藤原氏」が絶対的な権力を握ることになります。彼が怨霊として恐れられた背景には、古代からの名門一族が完全に没落していくことへの、人々の哀愁と恐怖があったのです。

「伴氏」という古代名族の終焉

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