01
史実の将門:身内の揉め事が大事件に発展
平将門は、最初から国家転覆を狙うテロリストだったわけではありません。一次史料である『将門記』などを見ると、ことの発端は「親戚同士の領地争い」や「女性トラブル」です。
彼は関東の農民や地方豪族からの人望が厚く、頼まれると断れない親分肌でした。役人に追われている友人を庇った結果、なし崩し的に国家(朝廷)の軍隊と戦うことになってしまい、引き返せなくなって「新皇」を名乗ってしまった、というのが史実のリアルな姿です。


たいら の まさかど
平将門
01
平将門は、最初から国家転覆を狙うテロリストだったわけではありません。一次史料である『将門記』などを見ると、ことの発端は「親戚同士の領地争い」や「女性トラブル」です。
彼は関東の農民や地方豪族からの人望が厚く、頼まれると断れない親分肌でした。役人に追われている友人を庇った結果、なし崩し的に国家(朝廷)の軍隊と戦うことになってしまい、引き返せなくなって「新皇」を名乗ってしまった、というのが史実のリアルな姿です。

02
討ち取られた将門の首は京都に運ばれ、さらし首にされました。現代でも有名な「将門の首が、自分の胴体を求めて関東まで空を飛んで帰っていった」という伝説は、当時の記録には一切ありません。
この猟奇的な怨霊伝説が確認できるのは、彼の死から数百年も後の室町時代に書かれた『太平記』などの文学作品です。「権力に立ち向かった強い男」の物語に、後世の人々が怨霊としての恐ろしさとエンターテインメント性を付け加えていったのです。

03
東京・大手町のビル群の谷間にある「将門塚(首塚)」。ここでは、「大蔵省の仮庁舎を建てたら火事になった」「GHQが塚を壊そうとしたらブルドーザーが横転して死者が出た」といった昭和の都市伝説が語り継がれています。
これらが本当に将門の呪い(祟り)であるという科学的根拠はありません。しかし、日本の中心であるビジネス街で、現代のエリートたちが今も塚の保存に気を配り、背を向けないようにデスクを配置するといった風習が残っていること自体が、将門という存在の圧倒的な影響力を物語っています。怨霊伝説は、現代を生きる人々の「畏れ」によって今も更新され続けているのです。

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