源頼家

みなもとのよりいえ

源頼家

源頼家|入浴中の不意打ち暗殺! 2代将軍・源頼家の無念

基本情報

名前
源頼家
読み
みなもとのよりいえ
生きた時代
源 頼家(みなもと の よりいえ)は、鎌倉時代前期の鎌倉幕府第2代将軍(鎌倉殿)
生前の立場
源 頼家(みなもと の よりいえ)は、鎌倉時代前期の鎌倉幕府第2代将軍(鎌倉殿)
主な伝承地・ゆかりの地
頼家は将軍職を剥奪され、伊豆国修禅寺に幽閉された後、暗殺された
死・怨霊化の経緯
父・頼朝の死により18歳で家督を相続し、鎌倉幕府の第2代鎌倉殿、更に3年半後に征夷大将軍となる
祟り・伝承
伝承によると、彼が入浴中で丸腰だったところを北条氏の刺客たちが急襲
区分
歴史上の人物・怨霊伝承

01

孤独な2代目将軍の失脚

源頼家(みなもとのよりいえ)は、偉大なカリスマであった父・頼朝の死後、若くして将軍の座につきました。しかし、彼自身のわがままな振る舞いや、北条氏を中心とする御家人たちとの激しい権力闘争の末に孤立。重病で倒れた隙に将軍の座を弟に奪われ、出家させられて伊豆の修善寺へと幽閉されてしまいます。

孤独な2代目将軍の失脚

02

修善寺の風呂場での「凄惨な暗殺」

修善寺に幽閉された頼家の最期は、極めて無惨なものでした。伝承によると、彼が入浴中で丸腰だったところを北条氏の刺客たちが急襲。激しく抵抗する頼家の首に縄をかけ、局部を刺す(急所を潰す)などして惨殺したと言われています。武士の誇りを踏みにじる、あまりにも卑劣な暗殺劇でした。

修善寺の風呂場での「凄惨な暗殺」

03

怨霊を恐れた母・北条政子の後悔

頼家の死後、伊豆や鎌倉では彼の怨霊の噂が絶えなくなりました。実の息子の死を黙認する形になった母・北条政子も深く後悔し、彼の霊を鎮めるために修善寺に「指月殿(しげつでん)」という立派なお堂を建立しました。権力闘争の犠牲となった若き将軍の無念は、一族の心に暗い影を落とし続けたのです。

怨霊を恐れた母・北条政子の後悔

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