俊寛

しゅんかん

俊寛

俊寛|自分だけ船に乗れない! 俊寛僧都の孤独と亡霊

基本情報

名前
俊寛
読み
しゅんかん
生きた時代
俊寛(しゅんかん、康治2年(1143年) - 治承3年3月2日(1179年4月10日))は、平安時代後期の真言宗の僧
生前の立場
俊寛(しゅんかん、康治2年(1143年) - 治承3年3月2日(1179年4月10日))は、平安時代後期の真言宗の僧
主な伝承地・ゆかりの地
村上源氏の出身で、父は木寺(仁和寺院家)の法印寛雅、母は宰相局(源国房の娘で八条院暲子内親王の乳母)
死・怨霊化の経緯
仲間が赦免される中、一人だけ島に残され絶望の中で憤死した
祟り・伝承
能や歌舞伎で描かれる「悲劇の亡霊」 絶望と孤独の中、俊寛は島でやせ衰えて餓死(憤死)したと伝えられています
区分
歴史上の人物・怨霊伝承

01

鹿ヶ谷の陰謀と「鬼界ヶ島」への流罪

俊寛(しゅんかん)は、後白河法皇の側近たちと自身の山荘(鹿ヶ谷)で集まり、「平清盛をぶっ倒そうぜ」と秘密の宴会を開いていました。しかしこの計画は密告によってあっさりバレてしまい、激怒した清盛によって、俊寛と仲間の二人(藤原成経、平康頼)は、九州の遥か南にある絶海の孤島「鬼界ヶ島」へ流刑にされてしまいます。

鹿ヶ谷の陰謀と「鬼界ヶ島」への流罪

02

「お前はダメだ」一人だけ残される絶望

流刑から約1年後、都から「恩赦(許し)が出た」という知らせを乗せた船が島にやってきます。喜んで船に乗り込もうとした俊寛ですが、使者から「許されたのは他の二人だけ。お前の名前はない」と非情な宣告を受けます。

俊寛は「乗せてくれ!」と船に取りすがりますが、冷酷に突き落とされ、遠ざかる船を海岸に一人倒れ伏して泣き叫びながら見送ることしかできませんでした。

「お前はダメだ」一人だけ残される絶望

03

能や歌舞伎で描かれる「悲劇の亡霊」

絶望と孤独の中、俊寛は島でやせ衰えて餓死(憤死)したと伝えられています。このあまりにも惨めで悲劇的な最期は、人々の深い同情を誘いました。後世の能(『俊寛』)や近松門左衛門の歌舞伎(『平家女護島』)では、彼の怨念や悲しみが美しくも恐ろしい亡霊の姿として描かれ、「裏切りと孤独」を体現するダークなキャラクターとして日本の演劇史に永遠に刻み込まれました。

能や歌舞伎で描かれる「悲劇の亡霊」

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