01
壬申の乱での非業の最期
父・天智天皇の死後、大友皇子は国のトップに立つはずでした。しかし、叔父の大海人皇子が反旗を翻し、古代日本最大の内乱「壬申の乱」が勃発します。大友皇子は近江朝廷軍を率いて戦いますが、圧倒的な兵力を前に敗北し、首をくくって自害するという非業の最期を遂げました。


おおとものおうじ(こうぶんてんのう)
大友皇子(弘文天皇)
01
父・天智天皇の死後、大友皇子は国のトップに立つはずでした。しかし、叔父の大海人皇子が反旗を翻し、古代日本最大の内乱「壬申の乱」が勃発します。大友皇子は近江朝廷軍を率いて戦いますが、圧倒的な兵力を前に敗北し、首をくくって自害するという非業の最期を遂げました。

02
敗者の死は、古来より「祟り(怨霊)」として恐れられました。大友皇子の首は敵の手に渡ったとされますが、彼の首を密かに葬ったとされる「首塚」の伝説が千葉県など関東地方にも残っています。勝者に逆らう強大な怨念が、遠く離れた地域にまで恐怖と信仰を生み出したのです。

03
彼が死んだ後、勝者側は彼を天皇として認めませんでした。しかし、1200年以上もの時が流れた明治時代、「やはり彼は天皇の位についていたはずだ」と再評価され、明治政府から正式に「弘文天皇」という称号(諡号)が贈られました。日本の歴史上、最も遅く名誉回復された悲劇の怨霊です。

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