他戸親王

おさべしんのう

他戸親王

他戸親王|純血の高貴なプリンスは、なぜ存在を消されなければならなかったのか。母と共に命を絶たれ、母と共に怨霊として都を震え上がらせた少年の悲劇。

基本情報

名前
他戸親王
読み
おさべしんのう
生きた時代
761年〜775年
生前の立場
奈良時代後期
主な伝承地・ゆかりの地
皇族、皇太子(廃太子)
死・怨霊化の経緯
奈良、五條
祟り・伝承
立太子、廃太子、母との同日薨去、御霊伝承
区分
井上内親王、光仁天皇、桓武天皇

01

史実:完璧な血筋が招いた悲劇

他戸親王(おさべしんのう)は、当時の朝廷において最も「天皇になるべき正統な血筋」を持っていました。母は聖武天皇の娘(井上内親王)、父は天智天皇の孫(光仁天皇)という完璧なサラブレッドだったからです。

順当に皇太子に立てられましたが、それが逆に彼を危険な立場に追い込みました。権力を握りたい藤原氏などの有力貴族にとって、外戚(母方の親戚)になれない他戸親王の存在は非常に邪魔だったのです。

史実:完璧な血筋が招いた悲劇

02

母の失脚と、残酷な「連座」

772年、母である井上内親王が「天皇を呪い殺そうとした」という罪を着せられます。

他戸親王自身は呪詛に全く関与していませんでしたが、「罪人の息子が次期天皇になるのは許されない」という理屈で、皇太子の座を剥奪されてしまいます。代わって皇太子になったのは、身分が低い母から生まれた異母兄の山部親王(のちの桓武天皇)でした。他戸親王は母と共に幽閉され、775年、不自然にも母と全く同じ日に息を引き取りました。

母の失脚と、残酷な「連座」

03

怨霊伝承:最強の母子タッグの祟り

暗殺としか思えない死を遂げた後、都で疫病や災害が頻発すると、人々は「井上内親王と他戸親王の怨霊だ!」と恐れおののきました。

のちに桓武天皇(山部親王)が即位した後も祟りの恐怖は収まらず、桓武天皇は長岡京への遷都など、怨霊から逃れるための政策を次々と打ち出すことになります。他戸親王は、京都の下御霊神社などで「八所御霊」の一柱として祀られています。大人たちの汚い政治争いに巻き込まれ、怨霊になるしかなかった悲運のプリンスです。

怨霊伝承:最強の母子タッグの祟り

SAME CATALOG

同じ図鑑のほかの記事