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史実:妥協を許さない「悪左府」の転落
藤原頼長(ふじわらのよりなが)は、平安時代末期におけるトップクラスの秀才であり、朝廷の法律や儀式を厳密に守らせようとする超・厳格な政治家でした。
この時代の「悪」とは「個性が強い、妥協がない」という意味であり、彼は「悪左府」と呼ばれて恐れられました。しかし、その厳しすぎる性格から多くの貴族の反感を買い、1156年の「保元の乱」において崇徳上皇側について戦いますが、首に流れ矢を受けて致命傷を負い、惨めな逃亡の末に命を落としました。彼の遺体は掘り起こされ、罪人として扱われるという屈辱的な最期でした。



