大谷吉継

おおたによしつぐ

大谷吉継

大谷吉継|裏切り者は絶対に許さない! 大谷吉継の「枕元の呪い」

基本情報

名前
大谷吉継
読み
おおたによしつぐ
生きた時代
大谷 吉継(おおたに よしつぐ、永禄8年〈1565年〉- 慶長5年9月15日〈1600年10月21日〉)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名
生前の立場
大谷 吉継(おおたに よしつぐ、永禄8年〈1565年〉- 慶長5年9月15日〈1600年10月21日〉)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名
主な伝承地・ゆかりの地
豊臣秀吉の家臣で、越前敦賀城主
死・怨霊化の経緯
業病(詳細は後述)を患っており、関ヶ原の戦いでは石田三成ら西軍に与したが、小早川秀秋らの離反で敗戦し、自害し果てた
祟り・伝承
秀秋を狂乱させた「怨霊の正体」 戦いの後、裏切って勝者となった小早川秀秋ですが、わずか2年後に21歳の若さで謎の狂乱死を遂げます
区分
歴史上の人物・怨霊伝承

01

親友のために「負け戦」へ向かう義将

大谷吉継(おおたによしつぐ)は、重い病気で目が見えにくく、顔も崩れていたため、白い布で顔を覆っていたと伝わります。彼は徳川家康の強さを誰よりも理解しており、親友の石田三成が挙兵しようとした時は必死に止めました。しかし三成の決意が固いと知ると、「お前と一緒に地獄へ行こう」と、絶対に勝てない戦いへ輿に乗って出陣しました。

親友のために「負け戦」へ向かう義将

02

小早川秀秋の裏切りと壮絶な自刃

関ヶ原の戦いの真っ最中、味方であったはずの小早川秀秋が大軍を率いて裏切り、大谷軍に襲いかかりました。吉継は奮戦しますが、多勢に無勢で軍は崩壊。彼は切腹する直前、「人面獣心の秀秋を、三年以内に呪い殺してやる!」と叫び、家臣に自分の首を切り落とさせて地中深くに隠させたと伝えられています。

小早川秀秋の裏切りと壮絶な自刃

03

秀秋を狂乱させた「怨霊の正体」

戦いの後、裏切って勝者となった小早川秀秋ですが、わずか2年後に21歳の若さで謎の狂乱死を遂げます。伝承では、毎晩秀秋の枕元に「血まみれの大谷吉継の怨霊」が現れ、彼を精神的に追い詰めて呪い殺したのだと言われています。義理を重んじる日本の歴史ファンにとって、最も痛快で悲しい怨霊の復讐劇です。

秀秋を狂乱させた「怨霊の正体」

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