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丹波攻略の最前線と「敵は本能寺にあり」の出撃拠点
織田信長から丹波国平定の命を受けた明智光秀は、京から丹波へと至る交通の要衝である亀岡盆地に目を付け、天正五年(一五七七年)頃から亀山城の築城を開始した。光秀はこの城を拠点として、波多野氏をはじめとする丹波の強力な国人衆を各個撃破し、数年がかりで平定を成し遂げた。そして天正十年(一五八二年)六月、備中高松城の羽柴秀吉を救援するよう信長から命じられた光秀は、この亀山城から一万三千の軍勢を率いて出陣する。しかし、軍勢が京の境である老ノ坂峠に差し掛かったところで、光秀は進軍の方向を西から東へと反転させ、主君である信長が滞在する本能寺へと向かったのである。日本の歴史の分岐点となる重大な軍事的決断と出撃は、この城の城門を潜った直後に下された。





















































