岐阜城

ぎふじょう

岐阜城

Photo: Douglas P Perkins (Douglaspperkins) / Wikimedia Commons / Public domain

岐阜城|信長は「山頂だけ」で天下を見ていたわけではない

岐阜城を、信長は「山頂だけ」で天下を見ていたわけではないという切り口から読み直します。一般的な城の概要を並べるのではなく、この城でしか成立しない出来事と、現在の姿とのずれを入口にします。

基本情報

名称
岐阜城
読み
ぎふじょう
別名
稲葉山城
所在地
岐阜県岐阜市金華山
築城時期
建仁年間(1201〜1204年)に築城されたと伝わる
築城者
二階堂行政と伝わる
現在の城郭
1956年再建
文化財・指定
国指定史跡「岐阜城跡」

この記事では、岐阜城の見どころを「信長は「山頂だけ」で天下を見ていたわけではない」から三つの場面に分けて追います。各Sectionでは、固有の事実がなぜ意外で、城の見方をどう変えるのかを確認します。

01

山頂だけ見て帰ると、半分しか見えない

山頂だけ見て帰ると、半分しか見えないを、信長は「山頂だけ」で天下を見ていたわけではないの中の具体的な場面として見ます。

右の写真は金華山の山麓にある織田信長の居館跡です。岐阜城というと山頂の天守を思い浮かべますが、信長の城づくりは山の下にも広がっていました。 発掘調査では庭園や水を使った空間が確認され、政治や接客の舞台となった居館の姿が明らかになっています。

山頂だけ見て帰ると、半分しか見えない

山頂だけ見て帰ると、半分しか見えない

Photo: Wikimedia Commons

はの門へ続く登城路と姫路城の天守

Photo: そらみみ / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0

02

山上にも、石垣でつくられた空間がある

山上にも、石垣でつくられた空間があるを、信長は「山頂だけ」で天下を見ていたわけではないの中の具体的な場面として見ます。

右の写真は金華山上の岐阜城周辺に残る石垣です。山頂部は単に最後の防御拠点だったと決めつけられるものではありません。 近年の調査では山上にも庭園的な空間があった可能性が示され、ルイス・フロイスの記録と合わせて、山上も接客や「見せる」ために使われた姿が検討されています。

山上にも、石垣でつくられた空間がある

山上にも、石垣でつくられた空間がある

Photo: Wikimedia Commons

はの門へ続く登城路と姫路城の天守

Photo: そらみみ / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0

03

山麓から見上げると、二つの城がつながる

山麓から見上げると、二つの城がつながるを、信長は「山頂だけ」で天下を見ていたわけではないの中の具体的な場面として見ます。

右の写真は岐阜公園側から金華山上の岐阜城を見上げた景色です。山麓の居館跡を歩いたあとに山頂を見ると、二つが別々の観光スポットではなく、一つの山を上下に使った城だったことが実感できます。

山麓から見上げると、二つの城がつながる

山麓から見上げると、二つの城がつながる

Photo: Wikimedia Commons

はの門へ続く登城路と姫路城の天守

Photo: そらみみ / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0

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