大多喜城

おおたきじょう

大多喜城

Photo: Douglas P Perkins (Douglaspperkins) / Wikimedia Commons / Public domain

大多喜城|生涯無傷の武将・本多忠勝に与えられた「最前線の盾」。大多喜城の底知らずの井戸とメキシコの奇縁

大多喜城を、生涯無傷の武将・本多忠勝に与えられた「最前線の盾」。大多喜城の底知らずの井戸とメキシコの奇縁という切り口から読み直します。一般的な城の概要を並べるのではなく、この城でしか成立しない出来事と、現在の姿とのずれを入口にします。

基本情報

名称
大多喜城
読み
おおたきじょう
別名
確認できる代表的な別名なし
所在地
千葉県夷隅郡大多喜町大多喜481
築城時期
大永元年(1521年) 真里谷信清による(のち本多忠勝が改修)
築城者
真里谷信清
現在の城郭
現在も本丸跡にその井戸の跡が残されています。
文化財・指定
記事本文に文化財・指定情報の明記なし

この記事では、大多喜城の見どころを「生涯無傷の武将・本多忠勝に与えられた「最前線の盾」。大多喜城の底知らずの井戸とメキシコの奇縁」から三つの場面に分けて追います。各Sectionでは、固有の事実がなぜ意外で、城の見方をどう変えるのかを確認します。

01

最強の武将を配置した家康の「里見対策」

最強の武将を配置した家康の「里見対策」を、生涯無傷の武将・本多忠勝に与えられた「最前線の盾」。大多喜城の底知らずの井戸とメキシコの奇縁の中の具体的な場面として見ます。

天正18年(1590年)、豊臣秀吉の命によって徳川家康が関東に入国した際、家康は最も信頼する最強の武将・本多忠勝に、なんと十万石もの大封を与えてこの大多喜城に配置しました。 なぜ辺境の地にエースを置いたのでしょうか。それは、房総半島の南(安房国)に、かつて北条氏と互角に渡り合った強力な海洋大名「里見氏」が健在だったからです。 家康にとって里見氏は、いつ江戸の背後を突いてくるか分からない最大の脅威でした。そこで家康は、里見氏が江戸へ向かうルートの要衝である大多喜に、絶対に負けない「本多忠勝」という最強の盾を置くことで、江戸の安全を確保したのです。忠勝は城を大規模に改修し、里見氏の侵攻を完璧にブロックする強固な要塞を築き上げました。

最強の武将を配置した家康の「里見対策」

最強の武将を配置した家康の「里見対策」

Photo: Wikimedia Commons

はの門へ続く登城路と姫路城の天守

Photo: そらみみ / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0

02

枯れることのない「底知らずの井戸」

枯れることのない「底知らずの井戸」を、生涯無傷の武将・本多忠勝に与えられた「最前線の盾」。大多喜城の底知らずの井戸とメキシコの奇縁の中の具体的な場面として見ます。

山城である大多喜城の弱点は「水」です。しかし、忠勝が整備したこの城には「底知らずの井戸」と呼ばれる巨大な井戸がありました。 伝説によれば、どれだけ水を汲み上げても決して水位が下がらず、日照り続きの年でも枯れることがなかったと言われています。井戸の底には水神が住んでいる、あるいは抜け穴になっているという噂まで囁かれました。 実際にこの井戸は非常に深く水量が豊富であったため、万が一里見氏の大軍に包囲されて籠城戦になったとしても、水不足で落城することは絶対にないという、最強の武将の徹底したリスクヘッジの証拠でもあります。現在も本丸跡にその井戸の跡が残されています。

枯れることのない「底知らずの井戸」

枯れることのない「底知らずの井戸」

Photo: Wikimedia Commons

はの門へ続く登城路と姫路城の天守

Photo: そらみみ / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0

03

メキシコとの奇妙な外交ルートを開いた城

メキシコとの奇妙な外交ルートを開いた城を、生涯無傷の武将・本多忠勝に与えられた「最前線の盾」。大多喜城の底知らずの井戸とメキシコの奇縁の中の具体的な場面として見ます。

大多喜城の歴史を語る上で欠かせない、もう一つの面白いエピソードがあります。忠勝の息子・本多忠朝(ただとも)が城主だった慶長14年(1609年)のことです。 フィリピンの臨時総督であったドン・ロドリゴ率いるスペインの帆船が、大多喜領内(現在の御宿町)の海岸で嵐のために座礁してしまいました。地元の海女たちが遭難者たちを献身的に救助し、知らせを受けた忠朝は、彼らを大多喜城へ招き入れて手厚くもてなしました。 その後、彼らは江戸で家康に謁見し、無事にメキシコ(当時のヌエバ・エスパーニャ)へ帰国することができました。これがきっかけとなり、日本とメキシコとの間に友好的な外交関係が生まれたのです。戦うための最前線の要塞が、国際交流と人命救助の心温まる舞台となったという、大多喜城の隠れた名エピソードです。

メキシコとの奇妙な外交ルートを開いた城

メキシコとの奇妙な外交ルートを開いた城

Photo: Wikimedia Commons

はの門へ続く登城路と姫路城の天守

Photo: そらみみ / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0

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