彦根城

ひこねじょう

彦根城

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美しき国宝は「巨大なリサイクル建築」だった

彦根城を、美しき国宝は「巨大なリサイクル建築」だったという切り口から読み直します。一般的な城の概要を並べるのではなく、この城でしか成立しない出来事と、現在の姿とのずれを入口にします。

基本情報

名称
彦根城(ひこねじょう)
読み
ひこねじょう
別名
金亀城(こんきじょう)
所在地
滋賀県彦根市金亀町
築城時期
1604年に築城開始
築城者
井伊直継・井伊直孝
現在の城郭
国宝の現存天守をはじめ櫓・門・石垣などが残る
文化財・指定
国宝
名前
彦根城

01

国宝なのに、材料は周辺の城から集めた

国宝なのに、材料は周辺の城から集めたを、美しき国宝は「巨大なリサイクル建築」だったの中の具体的な場面として見ます。 彦根城は、関ヶ原の戦いの後、 西国をおさえる重要な城 として築かれました。だから築城は急ぎです。 彦根市によると、当時は城を急いで造るため、周辺の城から石材や木材を再利用する方法がありました。彦根城もその代表例です。 天守は 大津城の天守を移したもの とされ、ほかにも佐和山城、大津城、長浜城、安土城などの石垣の石や櫓、城門が利用されたと伝わっています。 しかも昭和30年代の修理では、古材を使った痕跡も確認されています。 つまり、現在は国宝として大切にされている美しい城が、造られた当時は 「使えるものは使う」巨大リサイクル建築 でもあったわけです。 新品か中古かより、早く強い城を完成させることが大事。400年前の現場は、かなり現実的でした。

国宝なのに、材料は周辺の城から集めたPhoto: Drivephotographer / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0

02

「天秤」なのに、左右の石垣は別物

「天秤」なのに、左右の石垣は別物を、美しき国宝は「巨大なリサイクル建築」だったの中の具体的な場面として見ます。 彦根城の天秤櫓は、中央の門をはさんで左右に櫓が伸びる姿から、その名が付きました。 ところが足元を見ると、左右はきれいにそろっていません。 堀切側から見て 右側は築城当時の「打込みハギ」 。一方、 左側は江戸時代後期の修理で積み直された「落し積み」 です。 同じ建物の左右なのに、石の積み方が違う。これは失敗ではなく、修理された時代の違いがそのまま残っているからです。 名前は天秤。でも足元は左右非対称。 彦根城では、建物だけを見るより、その下の石垣まで一緒に見ると歴史が急に分かりやすくなります。

「天秤」なのに、左右の石垣は別物Photo: 663highland / Wikimedia Commons / CC BY 2.5

03

城の中に、馬専用の立派な建物が残っている

城の中に、馬専用の立派な建物が残っているを、美しき国宝は「巨大なリサイクル建築」だったの中の具体的な場面として見ます。 表門の近くには、細長い建物があります。これは 馬屋 。彦根藩主などの馬をつないでおくための建物です。 現在も建物が残り、国の重要文化財に指定されています。 戦国の城というと、天守や石垣、鉄砲ばかりに目が行きます。でも武士にとって馬は重要な移動手段でした。 だから彦根城では、人間が使う門や櫓だけでなく、 馬のための建物まで文化財として残っている 。 国宝の天守を見た直後に、今度は江戸時代の駐車場ならぬ「馬置き場」を見る。彦根城は、城で暮らした人たちの日常まで残しています。

城の中に、馬専用の立派な建物が残っている

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