小田原城

おだわらじょう

小田原城

Photo: Douglas P Perkins (Douglaspperkins) / Wikimedia Commons / Public domain

小田原城|天守より巨大な「約9kmの総構」が本体だった

小田原城を、天守より巨大な「約9kmの総構」が本体だったという切り口から読み直します。一般的な城の概要を並べるのではなく、この城でしか成立しない出来事と、現在の姿とのずれを入口にします。

基本情報

名称
小田原城
読み
おだわらじょう
別名
なし
所在地
神奈川県小田原市城内
築城時期
15世紀中頃
築城者
大森氏
現在の城郭
1960年復興
文化財・指定
国指定史跡「小田原城跡」

この記事では、小田原城の見どころを「天守より巨大な「約9kmの総構」が本体だった」から三つの場面に分けて追います。各Sectionでは、固有の事実がなぜ意外で、城の見方をどう変えるのかを確認します。

01

天守だけでは、小田原城の大きさは分からない

天守だけでは、小田原城の大きさは分からないを、天守より巨大な「約9kmの総構」が本体だったの中の具体的な場面として見ます。

戦国期の小田原城は、現在の城址公園だけではありません。後北条氏は城下町まで土塁と堀で囲む「総構」を築き、その周囲は約9kmに及びました。 右の小峯の大堀切は、その巨大な防御圏が現在の街の中にも残っていることを実感できる遺構です。

天守だけでは、小田原城の大きさは分からない

天守だけでは、小田原城の大きさは分からない

Photo: Wikimedia Commons

はの門へ続く登城路と姫路城の天守

Photo: そらみみ / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0

02

秀吉の包囲戦は、城の外側まで広がった

秀吉の包囲戦は、城の外側まで広がったを、天守より巨大な「約9kmの総構」が本体だったの中の具体的な場面として見ます。

1590年の小田原攻めでは、豊臣秀吉が小田原城を包囲し、城を見下ろす石垣山にも城を築きました。右の写真は、その石垣山城に残る石垣です。 小田原城側の総構と、包囲する豊臣方の陣城。戦いは天守の周囲だけでなく、広い地形全体を使って行われました。

秀吉の包囲戦は、城の外側まで広がった

秀吉の包囲戦は、城の外側まで広がった

Photo: Wikimedia Commons

はの門へ続く登城路と姫路城の天守

Photo: そらみみ / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0

03

総構は、いまも街の中に残っている

総構は、いまも街の中に残っているを、天守より巨大な「約9kmの総構」が本体だったの中の具体的な場面として見ます。

右の写真は八幡山周辺に残る深い堀と土塁です。現在の市街地を歩いていると、突然こうした大規模な土の防御施設が現れます。 「約9kmの総構」という数字は、こうした遺構を実際に見ると一気に具体的になります。

総構は、いまも街の中に残っている

総構は、いまも街の中に残っている

Photo: Wikimedia Commons

はの門へ続く登城路と姫路城の天守

Photo: そらみみ / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0

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