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武士の館を「お寺」にしてしまうという発想
足利氏館は、城壁のない館が中世の権力を見せる。この節では、武士の館を「お寺」にしてしまうという発想をその切り口から読みます。
武士の館を「お寺」にしてしまうという発想を、お城なのにお寺? 室町幕府のルーツ・足利氏館が「鑁阿寺」として生き残った究極の防衛術の中の具体的な場面として見ます。
平安時代後期から鎌倉時代にかけて、足利氏の祖先である源義康(みなもとのよしやす)がこの地に館を構えました。当時はまだ純粋な「武士の館」でした。 変化が起きたのは、2代目の足利義兼(よしかね)の時代です。彼は源頼朝の親戚として鎌倉幕府で大活躍しましたが、晩年に突然出家し、自分の館の敷地内に「持仏堂(個人的な仏堂)」を建てて大日如来を祀りました。これが鑁阿寺の始まりです。 さらに3代目の義氏の時代には、館全体を巨大なお寺(氏寺)として整備してしまいました。つまり、周囲に敵を防ぐための水堀や土塁(軍事施設)を張り巡らせたまま、中身だけを「宗教施設」に丸ごとコンバートしてしまったのです。
武士の館を「お寺」にしてしまうという発想
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Photo: そらみみ / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0