犬山城

いぬやまじょう

犬山城

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2004年まで「個人所有」だった国宝と、最上階の本物ベランダ

犬山城を、2004年まで「個人所有」だった国宝と、最上階の本物ベランダという切り口から読み直します。一般的な城の概要を並べるのではなく、この城でしか成立しない出来事と、現在の姿とのずれを入口にします。

基本情報

名称
犬山城(いぬやまじょう)
読み
いぬやまじょう
別名
白帝城(はくていじょう)
所在地
愛知県犬山市犬山北古券
築城時期
1537年、織田信康による築城と伝わる
築城者
織田信康
現在の城郭
現存天守(国宝)
文化財・指定
国宝
名前
犬山城

01

地震で壊れたら、「直すなら返す」で旧城主へ

地震で壊れたら、「直すなら返す」で旧城主へを、2004年まで「個人所有」だった国宝と、最上階の本物ベランダの中の具体的な場面として見ます。 犬山城は、2004年まで 個人所有 でした。 「国宝のお城が個人の持ち物?」と思いますが、そこには明治時代のかなり変わった経緯があります。 1871年の廃藩置県で犬山城は愛知県の所有となり、天守以外の多くの建物が取り壊されたり、払い下げられたりしました。 そして1891年、濃尾大地震で天守が半壊します。 その4年後。愛知県は 「修理すること」を条件に、旧城主の成瀬家へ犬山城を譲与 しました。 成瀬家をはじめ、多くの人々の支援で天守は修復されます。 その後も犬山城は成瀬家の所有として守られ、2004年に財団法人犬山城白帝文庫の所有となりました。 地震で壊れた城が、「直すこと」を条件に旧城主へ戻る。 犬山城は建物だけでなく、所有の歴史までかなり珍しい城です。

地震で壊れたら、「直すなら返す」で旧城主へPhoto: Bariston / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0

02

最上階だけ、急に「外へどうぞ」。しかも一周できる

最上階だけ、急に「外へどうぞ」。しかも一周できるを、2004年まで「個人所有」だった国宝と、最上階の本物ベランダの中の具体的な場面として見ます。 犬山城の最上階には、「廻縁(まわりえん)」という外周の縁側があります。 飾りではありません。 本当に外へ出て、天守のまわりを一周できます。 文化庁によると、現存12天守のうち、こうした廻縁を実際に歩けるのは犬山城と高知城だけです。 しかも犬山城は木曽川沿いの崖の上。 城の最上階から外へ出ると、木曽川と濃尾平野が一気に広がります。 絶景です。 ただし、400年前の天守です。 現代の展望台のような「安心感たっぷりの巨大フェンス」を期待すると、だいぶ雰囲気が違います。 国宝の最上階で、急に本物の木造ベランダを歩かされる。 犬山城のクライマックスは、景色だけでなく、その場所そのものにもあります。

最上階だけ、急に「外へどうぞ」。しかも一周できるPhoto: ThorstenS / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0

03

ガチ要塞の屋根に、亀の甲羅+桃

ガチ要塞の屋根に、亀の甲羅+桃を、2004年まで「個人所有」だった国宝と、最上階の本物ベランダの中の具体的な場面として見ます。 犬山城の屋根をよく見ると、いかつい城には少し意外な飾りがあります。 桃です。 愛知県の公式観光資料では、唐破風の屋根に「亀の甲羅に桃が乗った魔除けの瓦」があると紹介されています。 桃は古くから、魔除けにつながるものとして扱われてきました。 つまり犬山城は、敵に備える城でありながら、屋根の上では 桃にも守ってもらっている わけです。 白壁、黒い板張り、武具の間、崖、木曽川。 そこへ突然、桃。 ゴツい鎧に、ちょっとかわいいお守りを付けているようなギャップです。 犬山城を見上げるときは、天守全体だけでなく屋根の端も探してみてください。

ガチ要塞の屋根に、亀の甲羅+桃Photo: KKPCW / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0

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