松山城

まつやまじょう

松山城

Photo: Douglas P Perkins (Douglaspperkins) / Wikimedia Commons / Public domain

松山城|黒船が来たころ完成した、江戸時代最後期の現存天守

松山城を、黒船が来たころ完成した、江戸時代最後期の現存天守という切り口から読み直します。一般的な城の概要を並べるのではなく、この城でしか成立しない出来事と、現在の姿とのずれを入口にします。

基本情報

名称
松山城(まつやまじょう)
読み
まつやまじょう
別名
金亀城・勝山城
所在地
愛媛県松山市
築城時期
1601年に築城許可を得て本丸・二之丸・三之丸の位置を決定
築城者
加藤嘉明(のち蒲生忠知が完成)
現在の城郭
江戸時代末期再建の現存天守・連立式天守
文化財・指定
国指定重要文化財・現存12天守

この記事では、松山城の見どころを「黒船が来たころ完成した、江戸時代最後期の現存天守」から三つの場面に分けて追います。各Sectionでは、固有の事実がなぜ意外で、城の見方をどう変えるのかを確認します。

01

現在の天守が完成したころ、日本には黒船が来ていた

現在の天守が完成したころ、日本には黒船が来ていたを、黒船が来たころ完成した、江戸時代最後期の現存天守の中の具体的な場面として見ます。

松山城の現在の大天守は、江戸時代末期に再建されたものです。現存12天守の中でも新しい時期の天守にあたります。 1853年にはペリー艦隊が浦賀へ来航。松山城の天守再建は、まさに幕末の大転換期と重なります。 戦国の遺物に見える天守が、実は黒船の時代とほぼ同時代。 年代を知ると見え方が変わります。

現在の天守が完成したころ、日本には黒船が来ていた

現在の天守が完成したころ、日本には黒船が来ていた

Photo: Wikimedia Commons

はの門へ続く登城路と姫路城の天守

Photo: そらみみ / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0

02

大天守だけではない。建物同士がつながっている

大天守だけではない。建物同士がつながっているを、黒船が来たころ完成した、江戸時代最後期の現存天守の中の具体的な場面として見ます。

松山城は大天守・小天守・櫓などを渡櫓でつないだ連立式天守です。 入口までの経路にも門や櫓が重なり、直線的に天守へ向かわせない構成になっています。 それでも、 一つの塔ではなく複数の建物を組み合わせて守る という複雑さは、現地の建築を見るだけで十分伝わります。

大天守だけではない。建物同士がつながっている

大天守だけではない。建物同士がつながっている

Photo: Wikimedia Commons

はの門へ続く登城路と姫路城の天守

Photo: そらみみ / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0

03

『騙しの門の先は崖』ではない。でも隠門は本当に見つけにくい

『騙しの門の先は崖』ではない。でも隠門は本当に見つけにくいを、黒船が来たころ完成した、江戸時代最後期の現存天守の中の具体的な場面として見ます。

松山城には筒井門の奥に隠門があり、敵の背後を攻撃するための構造として説明されています。 つまり面白いのは落とし穴ではなく、 正面の門に注意を向けさせ、その脇に別の攻撃口を隠したこと 。 作り話を足さなくても、十分にいやらしい防御設計です。

『騙しの門の先は崖』ではない。でも隠門は本当に見つけにくい

『騙しの門の先は崖』ではない。でも隠門は本当に見つけにくい

Photo: Wikimedia Commons

はの門へ続く登城路と姫路城の天守

Photo: そらみみ / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0

SAME CATALOG

同じ図鑑のほかの記事