会津若松城

あいづわかまつじょう(つるがじょう)

会津若松城

Photo: Douglas P Perkins (Douglaspperkins) / Wikimedia Commons / Public domain

会津若松城|会津若松城は、白い天守より籠城の時間を読む城だ

会津若松城は、白い天守より籠城の時間を読む城だ

基本情報

名称
会津若松城(鶴ヶ城)
読み
あいづわかまつじょう(つるがじょう)
所在地
福島県会津若松市追手町
築城・改修
蒲生氏郷、加藤氏らが改修
主な歴史
戊辰戦争・会津戦争
主な見どころ
赤瓦の天守、石垣、会津戦争資料
文化財指定
若松城跡・国指定史跡
関連人物
松平容保、山本八重、白虎隊

白虎隊の物語だけでは終わらない。会津若松城は、戊辰戦争の籠城戦と、その後に記憶が組み替えられた過程を一緒に読む場所だ。

01

会津若松城は、約1か月の籠城戦に耐えた

会津若松城は、白い天守より籠城の時間を読む城だ。この節では、会津若松城は、約1か月の籠城戦に耐えたをその切り口から読みます。

会津若松城は、約1か月の籠城戦に耐えたを、城は落ちなかった。でも開城した。会津若松城が見せる「勝敗」と「降伏」の違いの中の具体的な場面として見ます。

会津戦争で会津若松城は新政府軍の攻撃を受けました。城内に立てこもった側は、石垣や曲輪を使って砲撃と突入をしのぎます。

籠城とは、ただ門を閉じることではありません。兵を配置し、負傷者を抱え、砲弾と食料を配分しながら時間を味方につける作戦でした。

会津若松城は、約1か月の籠城戦に耐えた

会津若松城は、約1か月の籠城戦に耐えた

Photo: Wikimedia Commons

はの門へ続く登城路と姫路城の天守

Photo: そらみみ / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0

02

城は落ちなかった。でも、9月22日に開城した

会津若松城は、白い天守より籠城の時間を読む城だ。この節では、城は落ちなかった。でも、9月22日に開城したをその切り口から読みます。

城は落ちなかった。でも、9月22日に開城したを、城は落ちなかった。でも開城した。会津若松城が見せる「勝敗」と「降伏」の違いの中の具体的な場面として見ます。

会津若松城は城壁を完全に破られて降伏したわけではありません。周囲の戦況が決定的に変わり、援軍の見込みや物資の状況も厳しくなったため、開城が選ばれました。

「落ちなかった」と「勝った」は同じではない。城を守り切る力が残っていても、戦争全体を続けられなければ、開城という判断が生まれます。

城は落ちなかった。でも、9月22日に開城した

城は落ちなかった。でも、9月22日に開城した

Photo: Wikimedia Commons

はの門へ続く登城路と姫路城の天守

Photo: そらみみ / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0

03

再建から46年後、屋根だけもう一度「幕末」へ戻した

会津若松城は、白い天守より籠城の時間を読む城だ。この節では、再建から46年後、屋根だけもう一度「幕末」へ戻したをその切り口から読みます。

再建から46年後、屋根だけもう一度「幕末」へ戻したを、城は落ちなかった。でも開城した。会津若松城が見せる「勝敗」と「降伏」の違いの中の具体的な場面として見ます。

現在の会津若松城は再建された天守です。復元の過程では、幕末当時の姿を伝える資料をもとに外観が整えられ、後に赤瓦の屋根も復元されました。

建物は同じ場所に戻っても、そこに重なる時代は一つではありません。戦争で開城した城、再建された城、観光と記憶を受け継ぐ城。その重なりが鶴ヶ城の現在です。

再建から46年後、屋根だけもう一度「幕末」へ戻した

再建から46年後、屋根だけもう一度「幕末」へ戻した

Photo: Wikimedia Commons

はの門へ続く登城路と姫路城の天守

Photo: そらみみ / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0

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