大阪城

おおさかじょう

大阪城

Photo: Douglas P Perkins (Douglaspperkins) / Wikimedia Commons / Public domain

大阪城|地下に豊臣、地上に徳川、その上に昭和の天守

大阪城を、地下に豊臣、地上に徳川、その上に昭和の天守という切り口から読み直します。一般的な城の概要を並べるのではなく、この城でしか成立しない出来事と、現在の姿とのずれを入口にします。

基本情報

名称
大阪城(大坂城)
読み
おおさかじょう
別名
なし
所在地
大阪府大阪市中央区
築城時期
1583年に豊臣秀吉が築城開始
築城者
豊臣秀吉
現在の城郭
1931年復興
文化財・指定
特別史跡・登録有形文化財ほか

この記事では、大阪城の見どころを「地下に豊臣、地上に徳川、その上に昭和の天守」から三つの場面に分けて追います。各Sectionでは、固有の事実がなぜ意外で、城の見方をどう変えるのかを確認します。

01

秀吉の城は、いまの地面の下にある

秀吉の城は、いまの地面の下にあるを、地下に豊臣、地上に徳川、その上に昭和の天守の中の具体的な場面として見ます。

「大阪城=豊臣秀吉の城」。そのイメージ自体は間違いではありません。ただし、現在地上で目にする大阪城の姿を、そのまま秀吉が見ていたわけではありません。 1615年の大坂夏の陣で豊臣氏の大坂城は落城。その後、徳川幕府は1620年から大坂城を再築しました。現在の本丸地下には豊臣期の遺構が残り、調査では地下約7メートルで石垣が確認された場所もあります。 秀吉の城を探すなら、上ではなく下を見る。 2025年に開館した大阪城豊臣石垣館では、徳川期の城の地下に残る豊臣期石垣を実際に見ることができます。

秀吉の城は、いまの地面の下にある

秀吉の城は、いまの地面の下にある

Photo: Wikimedia Commons

はの門へ続く登城路と姫路城の天守

Photo: そらみみ / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0

02

巨大な石垣は、主に徳川時代の大工事

巨大な石垣は、主に徳川時代の大工事を、地下に豊臣、地上に徳川、その上に昭和の天守の中の具体的な場面として見ます。

現在の大阪城で圧倒されるのが、堀を囲む巨大な石垣です。徳川幕府による再築工事は1620年から1629年まで3期に分けて行われ、西国の外様大名を中心に64家が石垣や堀の普請に動員されました。 つまり、いま地上で「大阪城らしい」と感じる壮大な石垣景観は、豊臣期の城を覆うように築かれた徳川期大坂城の姿を強く残しています。 地下には豊臣、地上には徳川。 同じ場所に、二つの大坂城が重なっている のがこの城の面白さです。

巨大な石垣は、主に徳川時代の大工事

巨大な石垣は、主に徳川時代の大工事

Photo: Wikimedia Commons

はの門へ続く登城路と姫路城の天守

Photo: そらみみ / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0

03

そして一番上には、1931年生まれの天守が立つ

そして一番上には、1931年生まれの天守が立つを、地下に豊臣、地上に徳川、その上に昭和の天守の中の具体的な場面として見ます。

現在の天守閣は1931年、市民の寄付によって復興されました。大阪市は、この天守を「豊臣秀吉創建時の姿の再建を試みた建造物」と説明しています。 一方、建っているのは徳川期の天守台。建物自体は昭和に造られた鉄骨鉄筋コンクリート造です。現在では、その昭和の天守閣そのものが登録有形文化財となっています。 豊臣を思わせる天守、徳川の城郭、地下の豊臣遺構。 大阪城は一つの時代を保存した城というより、時代が上へ上へと積み重なった城です。

そして一番上には、1931年生まれの天守が立つ

そして一番上には、1931年生まれの天守が立つ

Photo: Wikimedia Commons

はの門へ続く登城路と姫路城の天守

Photo: そらみみ / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0

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