北野天満宮

きたのてんまんぐう

北野天満宮

Photo: z tanuki / Wikimedia Commons / CC BY 3.0

北野天満宮|学問の神様ではない? 日本最恐の「怨霊」だった菅原道真が受験生の味方になるまで

基本情報

名称
北野天満宮
読み
きたのてんまんぐう
所在地
京都府京都市上京区馬喰町
創建・鎮座
天暦元年(947年)
御祭神
菅原道真公
位置づけ
神道の神社
主な見どころ
国宝・御本殿、撫で牛、梅苑、星欠けの三光門
主な祭事・信仰
地域に伝わる祭事と信仰。菅原道真、藤原時平、豊臣秀吉

01

平安京を恐怖のどん底に陥れた「雷神」

学者の家系に生まれながら右大臣にまで登り詰めた超エリート・菅原道真。しかし、政敵である藤原時平の陰謀により、無実の罪で九州の太宰府へ左遷され、絶望の中で命を落とします(903年)。

恐ろしいのはここからです。道真の死後、京都では異変が連続します。彼を陥れた藤原時平が39歳で謎の急死を遂げ、さらに時平の血を引く皇太子たちが次々と亡くなりました。極めつけは延長8年(930年)、平安京のど真ん中(清涼殿)に巨大な雷が落ち、時平の仲間たちが黒焦げになって即死。これを見た醍醐天皇もショックで寝込み、崩御してしまいます。

都の人々は「道真の怨霊が雷神(天神)となって復讐にやってきた!」とパニックに陥りました。この怒り狂う怨霊をなだめるため、北野の地に「天満大自在天神」として最高ランクの神として祀り上げたのが、北野天満宮の始まりです。

平安京を恐怖のどん底に陥れた「雷神」
平安京を恐怖のどん底に陥れた「雷神」

Photo: Wikimedia Commons

02

「撫で牛」に隠された道真と牛の奇妙なシンクロ

北野天満宮の境内には、至る所に牛の彫刻(撫で牛)が置かれています。なぜ牛なのでしょうか。

道真と牛には、異常なほどのシンクロニシティ(偶然の一致)が存在します。道真が生まれたのは「丑年の丑の日」。大宰府へ左遷される際に乗っていたのも牛車。そして亡くなったのも「丑の日の丑の刻」でした。

さらに、彼の遺体を運ぶ牛車が太宰府で突然座り込んで一歩も動かなくなり、そこを墓所とした(現在の太宰府天満宮)という伝説も残っています。そのため、天満宮の神使(神の使い)は牛とされ、境内の牛はすべて座った姿勢(臥牛)で作られているのです。自分の頭を撫でた後に牛の頭を撫でると頭が良くなるという風習は、怨霊への恐怖が薄れた後世に生まれました。

「撫で牛」に隠された道真と牛の奇妙なシンクロ
「撫で牛」に隠された道真と牛の奇妙なシンクロ

Photo: Wikimedia Commons

03

恐怖の怨霊から「学問の神」への見事なキャラ変

では、なぜ「最恐の雷神」が「学問の神様」に変わったのでしょうか。

時代が下り、平安時代から鎌倉・室町時代へと移ると、人々の中で「道真の祟り」の記憶が薄れていきました。代わりに残ったのは、「道真は幼い頃から和歌や漢詩の天才だった」という本来の彼の圧倒的な知性の記憶です。

学者や文人たちが「道真公のように賢くなりたい」と天神様をリスペクトし始め、江戸時代に入って寺子屋が普及すると、庶民の間でも「書道の神様」「学問の神様」として完全に定着しました。恐ろしい神様ほど、味方につければこれほど心強い存在はありません。北野天満宮は、日本人の「祟る神をひっくり返して守護神にする」という独特の精神構造を最も分かりやすく体現した場所なのです。

恐怖の怨霊から「学問の神」への見事なキャラ変
恐怖の怨霊から「学問の神」への見事なキャラ変

Photo: Wikimedia Commons

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