防府天満宮

ほうふてんまんぐう

防府天満宮

Photo: OS6 / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0

防府天満宮|絶望の旅路で交わした約束。道真が「生きていた頃」の言葉から生まれた日本最初の天満宮

基本情報

名称
防府天満宮
読み
ほうふてんまんぐう
所在地
山口県防府市松崎町14-1
創建・鎮座
延喜4年(904年)
御祭神
菅原道真公
位置づけ
神道の神社
主な見どころ
御本殿、春風楼、芳松庵、裸坊祭
主な祭事・信仰
地域に伝わる祭事と信仰。菅原道真

01

「私が死んだら、魂はこの地に帰ってくる」

延喜元年(901年)、無実の罪で京都から大宰府へと流される道中。道真は瀬戸内海を船で進み、周防国(現在の山口県防府市)の港に立ち寄りました。

この地を治めていたのは、道真と同じく藤原氏に反発していた土師氏(はじし・道真の祖先の家系)の縁者でした。彼らは左遷される道真を温かく迎え入れ、手厚くもてなしました。過酷な旅の中で、防府の人々の優しさと美しい景色に深く感動した道真は、この地を離れる際、こう約束しました。

「私の体は太宰府へ行くが、魂はこの防府の地に留めておく。もし私が無実の罪のまま死んだなら、魂は必ずこの地に帰ってくる」

「私が死んだら、魂はこの地に帰ってくる」
「私が死んだら、魂はこの地に帰ってくる」

Photo: Wikimedia Commons

02

没後わずか1年。最速で建てられた「日本最初の天神」

それから2年後の延喜3年(903年)、道真は大宰府で無念の死を遂げます。

その訃報が防府に届いた直後、この地の空に不思議な瑞雲(縁起の良い雲)が現れ、酒垂山(さかたりやま)に降り立ちました。これを見た防府の人々は、「道真公の魂が、約束通りこの地に帰ってこられたのだ!」と確信し、翌年の延喜4年(904年)に彼を祀る社を建立しました。

これが防府天満宮の創建です。京都の北野天満宮(947年)や、大宰府天満宮(919年)よりも早く、道真の没後わずか1年(翌年)に建てられたため、防府天満宮は「日本で最初の天満宮」を自称しています。怨霊としての恐怖からではなく、「約束を守ってくれた慕わしい人」としての純粋な愛情から生まれた神社なのです。

没後わずか1年。最速で建てられた「日本最初の天神」
没後わずか1年。最速で建てられた「日本最初の天神」

Photo: Saigen Jiro / Wikimedia Commons / CC0

03

奇祭「裸坊祭」に込められた荒々しい愛情

防府天満宮のハイライトといえば、毎年11月に行われる「御神幸祭(ごじんこうさい)」、通称「裸坊祭(らぼうまつり)」です。

数千人の白装束の男たち(裸坊)が、「兄弟ワッショイ!」と叫びながら重さ500キロの御網代輿(おあじろこし)を担ぎ、石段を一気に滑り降りるという荒々しいお祭りです。

なぜこんなに激しいお祭りなのでしょうか。それは、左遷されてこの地に立ち寄った道真に、「少しでも元気を出してもらおう」「無実の罪を晴らすために荒々しく立ち上がってほしい」と、当時の防府の人々が慰めと励ましを込めて行った熱狂的な歓迎の儀式がルーツだとされているからです。学問の神様という静かなイメージを覆す、熱い血潮の通った信仰が防府には息づいています。

奇祭「裸坊祭」に込められた荒々しい愛情
奇祭「裸坊祭」に込められた荒々しい愛情

Photo: 山口県観光サイト

SAME CATALOG

同じ図鑑のほかの記事