モルテン
競技用ボールなどを通じて世界のスポーツを支える
広島発のスポーツ用品
城主の交代、秘密の島、消えなかった路面電車。知っている広島の、知らない話。
原爆ドームや平和記念資料館で知られる広島。しかし、街と島と山間部には、もう一つの歴史がある。城主が次々と交代した広島城、軍事機密を抱えたウサギの島、奈良とは違う宮島の鹿、山奥で食べる「ワニ」の刺身。
海を支配した村上海賊、呉で秘密裏に建造された巨大戦艦、被爆直後に再び走り始めた路面電車。広島には、時代の落差と人々の営みが折り重なっている。

関ヶ原で西軍の総大将とされた毛利輝元は、戦後、広島の領地を失って長州へ移った。それでも命を奪われたわけではない。代わって広島城に入ったのが、東軍で戦った福島正則だった。
ところが1619年、福島は広島城の修築をめぐる幕府との問題で改易となる。単に「雨漏りを直したからクビ」ではない。無断修築の扱いと幕府命令への対応が問題となったとされる。勝者側の武将なのに、広島城を去ることになった。
次の城主は、紀伊和歌山から入封した浅野長晟。徳川家康の娘・振姫を妻とし、徳川家と縁が深かった。長州に移った毛利家を西側に控えた広島に、幕府と関係の近い浅野家を置くことには政治的な意味があったと考えられる。こうして浅野家は明治維新まで広島を治めた。

広島藩主・浅野吉長が1725年に開いた「講学所」。その系譜は、現在の修道中学校・修道高等学校へと続いている。武士を育てるための学びの場が、現代の私立男子校につながったのだ。
もっとも、300年間ずっと順調だったわけではない。藩の財政事情による休学、廃藩置県による休業を経験し、1878年には旧藩主・浅野長勲が私立浅野学校として再興。その後、山田十竹らが学びの灯をつないだ。
1945年には原爆で校舎の大部分が倒壊。それでも学校は存続し、2025年に創始300年を迎えた。「日本唯一」という肩書きは全国の類例検証が必要なため、本文では確定表現を避ける。

広島県竹原市沖の大久野島は、ウサギと触れ合える観光地として知られる。しかし昭和初期、この島では旧日本陸軍による毒ガス製造が行われていた。のどかな写真からは想像しにくい過去である。
工場や関連施設は軍事機密として扱われ、そこで働いた人々の健康にも深刻な影響を残した。島には今も遺構が残り、毒ガス資料館はその歴史を伝える。
「地図から消された島」という表現はしばしば使われるが、すべての地図から島そのものが消えたという意味にはしない。秘密にされたのは、主に島の軍事施設とその役割だ。

宮島でのんびり歩く鹿。奈良公園の鹿と同じように「神の使い」と思われがちだが、両者の信仰上の位置づけは同じではない。奈良では春日大社の神鹿としての伝承がよく知られる。一方、宮島では島の神聖さと鹿を大切にしてきた歴史が重なっている。
鹿は観光客に人気の存在だが、島で暮らす人々にとっては、ふんや食べ物、餌やりといった生活上の課題もある。かわいさだけでは語れない、観光地と野生動物の距離感が見えてくる。
「宮島の鹿も昔から神の使いだった」という説明には注意が必要だ。土地に伝わる信仰と、史料で裏づけられる制度や習俗を区別して読み解きたい。

広島県北部の三次や庄原では、「ワニを食べる」と聞くことがある。だが出てくるのは爬虫類のワニではない。地元で「ワニ」と呼ばれてきたのは、サメのことだ。
海から離れた地域でサメの刺身が食べられてきた背景には、輸送や保存の事情がある。サメの肉はほかの魚と異なる性質があり、内陸まで運ばれる魚として利用されてきた。
海なし県でもない広島の、そのまた山奥に根づいた魚食文化。県外の人が「ワニの刺身」と注文して驚くのも無理はない。

「海賊」と聞くと、船を襲って宝を奪う姿を想像する。しかし瀬戸内海の村上海賊は、潮流が複雑な海峡の航路を把握し、船の往来を管理する力を持っていた。
能島・来島・因島などを拠点とした村上氏の勢力は、通行の取り決めや水先案内、警護にも関わった。航行の安全を助ける一方、武力を背景に海上交通を支配する集団でもあった。
「通行料を取る海の案内人」という側面と、「海の武装勢力」という側面が共存する。その複雑さが、村上海賊を単なる悪役にできない理由だ。

世界最大級の戦艦・大和は、呉海軍工廠で建造された。長大な船体と巨大な主砲を備える計画は、軍事機密として厳しく管理された。
建造中には周囲からの視線を遮るための措置が取られ、詳しい性能や計画は一般には知らされなかった。それほど大きな艦を、どうやって秘密にして造るのか。呉の造船技術と戦時の情報統制が交差する。
秘密裏の建造は技術的な驚きである一方、その船が戦争のために造られ、多くの命が失われたことも忘れられない。

1945年8月6日、原子爆弾によって広島の街は壊滅的な被害を受けた。路面電車も車両や線路、電力設備が大きな損傷を受けた。それでも、8月9日には一部区間で運行が再開した。
街が回復したから電車が走ったわけではない。まだ何も元に戻らない中で、移動の手段を取り戻そうと人々が作業を続けたのだ。
広島の路面電車を見れば、普段の交通網の背後に、被爆直後の復旧を担った人々の歴史があることに気づく。

原爆で犠牲となった人々の中には、広島に収容されていたアメリカ軍の捕虜もいた。彼らの名前と最期を長年調べ続けてきたのが、広島の歴史研究家・森重昭だ。
戦争の被害を国籍だけで分けない。森は資料や証言をたどり、亡くなった米兵の足跡を調査し、遺族にも情報を届けようとしてきた。年月のかかる地道な仕事だった。
2016年、広島を訪れたオバマ米大統領は、平和記念公園で森を抱き寄せた。あの場面の前には、テレビには映らない長い調査の時間があった。

広島東洋カープの草創期、球団は資金難に苦しんでいた。1951年には市民が募金を呼びかけ、球場などに置かれた樽へ人々がお金を投じた。「樽募金」と呼ばれる出来事だ。
戦後の厳しい暮らしのなかで、地元に生まれた球団を自分たちで支えようとした。大企業の豊富な資金ではなく、市民の小さな支援を積み重ねたところが、この話の核心である。
試合で勝つだけがチームの歴史ではない。消えかけた球団を残した街の人々の記憶は、今の広島に続いている。
スポーツ用品もソースも、知っているあの商品が広島から。企業の設立地と本社所在地を混同せずに紹介します。
競技用ボールなどを通じて世界のスポーツを支える
広島発のスポーツ用品バレーボールなど国際競技のボールで知られる
広島のスポーツ産業お好み焼き文化を全国へ広げたソースメーカー
広島の食文化コルク事業から始まり自動車メーカーへ成長
府中町に本社ヨーグルトで親しまれる歴史ある乳業ブランド
広島発祥店で炊いたご飯を盛りつける「ポプ弁」
広島発のコンビニ化粧筆・書筆で知られる伝統の筆づくり
安芸郡熊野町細い針に培われた職人の技
広島の伝統産業トングとトレイを使うパンのセルフ販売を1967年に導入
パンの販売方法にも革新社名はカルシウムの「カル」とビタミンB1の「ビー」
広島創業の菓子メーカー移動販売で値段を付けるのが面倒くさくなり、全部100円にしたのが始まり
東広島発祥東京の地名ではなく創業者の名字「青山」
福山市発祥柑橘の加工から育ったジャムのブランド
竹原市の食産業1911年、海軍の街・呉で創業
呉発祥の筆記具メーカー殺虫剤で知られるメーカーの発祥も広島
広島発祥広島市の1世帯当たり購入量(2024年の都市別家計調査を参考)。県全体の量とは異なります。
とんかつにもお好みソース!2021年社会生活基本調査のスポーツ観覧行動者率。観戦のすべてがカープという意味ではありません。
やっぱりカープ?歴史・食・交通・文化の小話を、短く読める一覧にしました。
| 分類 | 小ネタ | どこが妙? |
|---|---|---|
| 食 | 広島県内でもお好み焼きが違う | 府中焼きにはミンチ肉、呉焼きには細うどんなど。同じ県でも作り方が違う。 |
| 怪異 | 町役場に「類人猿係」 | 1970年のヒバゴン騒動。旧西城町が目撃情報の対応に専門の係を設けた。 |
| 菓子 | 日本初期のバウムクーヘンとドイツ人捕虜 | 菓子職人カール・ユーハイムが広島の似島で捕虜生活を送り、1919年に広島で披露した。 |
| 遊び | 現代けん玉の原型と呉・廿日市 | 「日月ボール」の考案者は呉ゆかり。廿日市の木工技術が普及を支えた。 |
| 歴史 | 日清戦争中、広島が事実上の首都に | 1894年、広島に大本営が置かれ臨時帝国議会も開催。正式な遷都ではない。 |
| 食 | 広島の焼肉には「コウネ」 | 牛の胸に近い肩バラ肉を薄く切った、広島で親しまれる焼肉メニュー。 |
| 交通 | 「アストラム」は明日+トラム | 広島の新交通システムの名前は、日本語の「明日」と英語の「tram」を組み合わせた。 |
| 地名 | 北海道にも「北広島市」 | 明治期に広島県から入植した人々に由来する地名。北海道日本ハムの本拠地でもある。 |
海を支配した人々も、城主の交代も、戦争と復興も、今の街の下に重なっている。知っている地名の向こう側に、まだ知らなかった広島がある。
「47都道府県の裏側」シリーズ。他の地域も順次公開予定です。