桃太郎は、本当に“正義の味方”だったのか?
鬼を倒し、宝を持ち帰った英雄。
では、鬼はその前に何をしたのだろう。
物語を最初から読み直すと、
ひとつ妙なことに気づく。
桃から生まれた桃太郎。きび団子を持って犬・猿・雉を仲間にし、鬼ヶ島へ渡り、鬼を退治する。そして宝を持ち帰る。
あまりにも有名な物語なので、私たちは最初からひとつの前提を置いている。
「鬼は悪い。だから桃太郎は正義だ」
ところが、古い桃太郎の物語を読み直すと、その前提が少し揺らぐ。
国立国会図書館が紹介する江戸後期の豆本『桃太郎宝蔵入』では、16歳になった桃太郎は「鬼ヶ島に行って宝を取ってくる」と告げて出発する。鬼を破ると、鬼は宝を差し出して命乞いをし、桃太郎はその宝を持ち帰る。
ここでは「村を襲う鬼を懲らしめる」という動機より先に、宝を取りに行くことが語られている。
出発の目的は、
「討伐」より「宝」だった。
『桃太郎宝蔵入』で目を引くのは、出発時点から「宝」が目的として語られていることだ。
鬼ヶ島へ行く。鬼を破る。鬼は宝を差し出して命乞いをする。そして桃太郎は宝を持って帰り、家は栄える。
現代の感覚なら、その前に「鬼が何をしたのか」を知りたくなる。しかし、古い英雄譚では必ずしも「悪事→処罰」という順序で物語が作られているわけではない。
異界へ入り、強敵を倒し、富を持ち帰る。それ自体が英雄の功績だった。
犬・猿・雉は、
“友情”でついてきたのか?
桃太郎の仲間といえば、犬・猿・雉。現在では「仲間との友情」の物語として受け取られることが多い。
しかし、物語の入口を見ると、三匹は旅の途中で桃太郎からきび団子を受け取り、その後、鬼ヶ島へ同行する。
もちろん、昔話を現代の契約に置き換える必要はない。ただ、「最初から無条件の友情で集まった仲間」ではないことが伺える。
桃太郎は、戦う前から人を集め、目的地まで連れていく力を持っていた。
もしくは、相当魅力的なキビダンゴだったのか?
鬼から見れば、
桃太郎はどう見えたのか。
海の向こうから、武装した少年が動物の一団を連れてやってくる。島に上陸し、戦いを挑む。
敗れた鬼は宝を差し出して命乞いをする。
もちろん、これは「鬼は善良だった」と言いたいわけではない。桃太郎には多くの異本があり、鬼の描写も一定ではない。
ただ、桃太郎側からしか物語を聞かなければ、「勝った側=正義」という構図をそのまま受け取ってしまう。
視点を反対側へ移すだけで、桃太郎は「正義の少年」から「鬼ヶ島へ遠征した指揮官」に見え始める。
そして桃太郎は、
全国の子どもが知る英雄になる。
桃太郎は江戸時代から人気の物語だった。そのイメージを全国規模で共有させた大きな力のひとつが、近代の学校教育だった。
1887年の『尋常小学読本』では、桃太郎が学校教材として採用されたことが確認されている。その後も国定国語教科書で繰り返し扱われ、「桃太郎」は地域ごとに揺れていた昔話から、全国の子どもが知る物語へ近づいていった。
さらに戦時下には『桃太郎の海鷲』『桃太郎 海の神兵』が制作され、桃太郎と動物たちは軍事的な英雄像にも接続された。
時代が変わるたび、桃太郎にはその時代が求める「正しい英雄」の姿が重ねられていった。
学校教材へ
戦意高揚アニメーション
日本初の長篇アニメーション
桃太郎の「正義」は、
どこから生まれたのか。
桃太郎には多くの異本があり、出発理由や鬼の描かれ方も一定ではない。桃太郎を現代の基準だけで「善人」「悪人」のどちらかに決めることが、この記事の目的ではない。
注目したいのは、私たちが「桃太郎=正義」という結論を、物語の最初から当然のものとして受け取っていることだ。
桃太郎の正義は、最初から固定されていたのではない。
物語が語り直されるたびに、少しずつ輪郭を強くしていった。
古い本文を読み返すと、「鬼は悪かったのか?」だけではなく、「私たちは、なぜ桃太郎を正しいと思うようになったのか?」という別の問いが見えてくる。
注記
桃太郎には多数の異本・地域伝承があり、桃太郎の出生、鬼の描写、出発理由などは資料によって異なります。本記事は特定の本文を唯一の「原型」と断定するものではありません。
主な参考資料
- 国立国会図書館「本の万華鏡 第36回 絵本のむかーしむかし」
- 国立国会図書館『桃太郎宝蔵入』
- 国立教育政策研究所教育図書館『尋常小學讀本』
- 国立国会図書館 レファレンス協同データベース「戦前・戦中の教科書に掲載された『桃太郎』」
- 国立映画アーカイブ『桃太郎の海鷲』『桃太郎 海の神兵』関連資料
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