渋谷スクランブル交差点(2018年撮影)
REGION FEATURE / TOKYO

東京の裏側

消えた川、人工の森、幻の駅、将軍たちの墓所。
東京には、まだ知らない歴史がある。

渋谷スクランブル交差点 / Benh LIEU SONG / Wikimedia Commons / CC BY-SA 2.0

東京を「観光名所」ではなく、街の記憶から見てみる。

東京といえば高層ビル、繁華街、巨大な鉄道網。ところが、その表面を一枚めくると、都心の首塚、地下に隠された川、廃駅、人工の森が顔を出す。

有名な場所の「昔の姿」をたどると、今ある道路やビルの理由まで見えてくる。都市伝説に頼らなくても、東京の現実は十分に奇妙だ。

将門塚が東京のビル街に残る理由
将門塚が東京のビル街に残る理由 / Wikimedia Commons(画像URL・ライセンス要確認)
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将門塚が東京のビル街に残る理由

大手町の高層ビル群のなかに、平将門の首を祀る将門塚がある。オフィス街の一角だけが、まるで時代の違う場所のように残されている。ここは東京都指定の旧跡で、単なる「怖い場所」ではない。

将門は平安時代、関東で反乱を起こし、940年に討たれた武将だ。首が京都から飛んできた、という話は後世の伝説。一方、大手町に塚が受け継がれ、再整備されながら大切にされていることは確かな歴史だ。

祟りのため開発できなかった、と断定するのは正確ではない。ただ、東京で最も地価の高い場所のひとつに、長い信仰の記憶が残り続けている。その対比が、この街の「裏側」を象徴している。

渋谷川。東京の地下には「消えた川」がある
渋谷川 / mhiguera / Wikimedia Commons / CC BY 2.0
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東京の地下には「消えた川」がある

東京の道を歩くと、不自然に細長い路地や、谷底に沿って曲がる道路に出会う。それは、かつての川筋かもしれない。地上から姿を消しても、流路の跡が街の形に残る場所がある。

都市化の過程で、小河川や水路の一部はふたをかぶせられ、暗渠になった。渋谷川の支流や神田川水系など、東京の地形は水の流れと切り離せない。現在の道路と昔の地図を重ねると、まっすぐでない道に理由が見えてくる。

「地下に秘密の大河がある」という話ではない。街をつくるために見えなくした川がある、という事実のほうがずっと面白い。雨水、地形、道路の曲がり方に、水路の名残が今も顔を出す。

明治神宮の深い森は、100年後を計算して造られた人工の森だった
明治神宮の森 / Grendelkhan / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0
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明治神宮の深い森は、100年後を計算して造られた人工の森だった

原宿駅から歩いてすぐ。人と車が絶えない東京の中心部に、突然、深い森が現れる。

明治神宮の参道を歩くと、そこだけ都会から切り離されたように感じる。太い木々が空を覆い、長い年月をかけて育った自然の森に見える。

ところが、この森は、約100年前に人間が将来の姿を考えて造り始めた森だった。

1920年の明治神宮創建に合わせ、林学者の本多静六らが中心となって森林計画を立てた。

彼らが目指したのは、単に木をたくさん植えることではない。100年後、さらに200年後にも、森が自ら世代交代を続けられる仕組みだった。

全国から寄せられた樹木を用い、将来の森の姿を見据えて植栽を進めた。神宮の造営には約11万人の奉仕者が参加したと公式資料は伝えている。

木は永遠には生きられない。大きな木が倒れれば、その場所に光が差し込み、次の世代の木が育つ。こうした自然の働きを利用し、時間とともに森が移り変わることを想定したのである。

もちろん、100年前の人々が一本一本の木の成長まで予言できたわけではない。それでも、植えられた木々は世代を重ね、鳥や昆虫なども暮らす豊かな環境へと育ってきた。

東京の真ん中にあるこの森は、自然が残された場所ではなく、自然が育っていく未来を人間が設計した場所だった。

出典:https://www.meijijingu.or.jp/
https://www.meijijingu.or.jp/en/whattosee/forest/
https://www.meijijingu.or.jp/books/relation.php

上野公園にある博物館動物園駅の旧動物園口
博物館動物園駅の旧動物園口 / Ihimutefu / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0
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上野の地下には使われなくなった駅がある

上野公園のそばには、普段利用する列車が停まらない駅の痕跡が残る。京成電鉄の博物館動物園駅だ。名前の通り、博物館と動物園へ向かう人のための小さな駅だった。

1933年に開業し、地下ホームから公園へ出られる独特の駅として親しまれた。ホームの長さなど設備面の制約や利用状況の変化を背景に、1997年から営業を休止、2004年に廃止となった。

ただし駅舎そのものは消滅していない。近代東京の鉄道遺産として価値が認められ、東京都選定歴史的建造物にも選ばれた。普段見慣れた上野公園の下には、別の時代の入口が残っている。

上野公園のすぐ隣に、6人の徳川将軍が眠っている
寛永寺徳川将軍家霊廟勅額門 / KENPEI / Wikimedia Commons / CC BY 3.0
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上野公園のすぐ隣に、6人の徳川将軍が眠っている

パンダ、美術館、博物館、満開の桜。

上野といえば、東京を代表する文化と観光の街だ。

ところが、今では大勢の観光客でにぎわう上野公園一帯は、かつて巨大な寺院の境内だった。

その名は、東叡山寛永寺(とうえいざんかんえいじ)。

1625年、徳川幕府の安泰を祈るため、天海大僧正によって創建された。

場所にも意味があった。

江戸城から見て上野は北東、つまり昔から不吉な方角とされた「鬼門」に位置する。京都の鬼門を比叡山延暦寺が守るように、江戸の鬼門を守る存在として寛永寺が築かれたのである。

その規模は、現在の上野公園一帯に広がるほど巨大だった。

しかし、1868年の上野戦争で多くの建物が焼失。その後、境内の大部分は公園や文化施設へと姿を変えていった。

それでも、徳川将軍たちの墓所は消えなかった。

現在も寛永寺には、4代家綱、5代綱吉、8代吉宗、10代家治、11代家斉、13代家定という、6人もの将軍が眠っている。

霊廟の壮麗な建築物の大部分は第二次世界大戦の空襲で失われたが、勅額門や水盤舎、将軍の宝塔などが今も残されている。

そして、この徳川将軍家霊廟は、原則として一般非公開だ。

上野動物園でパンダを見て、美術館を巡り、桜並木を散歩する。

そのすぐ近くに、かつて日本を支配した将軍たちの墓所が、今も静かに守られている。

上野は、遊びと文化の街になる前、江戸を守る祈りの街だった。

出典:https://kaneiji.jp/about
https://t-navi.city.taito.lg.jp/spot/1068

浅草の雷門は95年間存在せず、松下幸之助が再建した
浅草寺 雷門 / Christophe95 / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0
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浅草の雷門は95年間存在せず、松下幸之助が再建した

浅草といえば雷門。大きな赤い提灯を背景に写真を撮る人々の姿は、すっかり東京の日常風景になっている。

あの門は、江戸時代からずっと同じ姿で立ち続けてきたように見える。

ところが、現在の雷門が建てられたのは1960年(昭和35年)。戦後のことである。

雷門は長い歴史の中で何度も火災に遭っている。幕末の1865年にも焼失し、その後、再建されないまま明治・大正・昭和の時代を迎えた。

つまり、約95年間、浅草寺の入口には現在のような雷門の建物がなかった。

その空白を埋めた人物が、松下電器産業の創業者・松下幸之助だった。

松下幸之助は、浅草寺に雷門再建のための寄進を行い、1960年に現在の門が完成した。

では、なぜ大阪を拠点に事業を広げた経営者が、東京・浅草の門を再建したのだろうか。

浅草寺の公式説明には、興味深い話が残っている。

当時、松下幸之助は関節痛に悩まされていた。それを知った浅草寺の貫首が本尊に病気平癒を祈願したところ、症状が快復したという。松下はその御礼として、個人で再建費用を寄進したと伝えられている。

この経緯は寺院が伝える由緒であり、祈願と回復の因果関係を医学的に証明するものではない。

江戸の象徴のように見える雷門が、実は昭和の経営者の寄進によってよみがえった建物だった。

浅草の顔を95年ぶりによみがえらせたのは、大阪で世界的企業を育てた一人の経営者だった。

出典:https://www.senso-ji.jp/
https://www.senso-ji.jp/guide/guide01.html
https://holdings.panasonic/jp/corporate/about/history/chronicle/1894.html

芝公園側から見た東京タワー
東京タワー / 麒麟坊 / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
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東京タワーには戦車の鉄が使われた

東京タワーは、戦後日本の復興を象徴する建物だ。その鉄骨には、意外な経歴を持つ鉄材も使われていた。朝鮮戦争で使われた米軍戦車などのスクラップを再利用した鋼材が含まれると伝えられている。

1958年に完成した東京タワーは、高さ333メートル。当時の日本では大量の鉄材を必要とする大工事だった。鉄を再利用すること自体が珍しくなかった時代に、戦争の道具が都市の通信インフラへと姿を変えた。

華やかな赤白のタワーを見上げると、観光名所としての顔が先に立つ。だが材料の来歴へ目を向けると、その建物が戦争と復興の時代をまたいで立っていることに気づく。

なぜ伊豆諸島や小笠原諸島は東京都なのか?
なぜ伊豆諸島や小笠原諸島は東京都なのか? / Wikimedia Commons(画像URL・ライセンス要確認)
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なぜ伊豆諸島や小笠原諸島は東京都なのか?

東京都の地図は、23区と多摩地域だけで終わらない。南へ延びる伊豆諸島、さらに遠い小笠原諸島も東京都に含まれる。東京駅から歩いて回れる都会のイメージとは、まったく別の地理だ。

伊豆諸島は明治期に静岡県から東京府へ移管された。小笠原諸島も明治期に日本の統治が進むなか東京府の管轄となり、戦後の米国統治を経て1968年に日本へ返還された。

だから島が東京都なのは「都会に近いから」ではなく、近代日本の行政区画と領土管理の歴史による。東京都の広さや姿を知りたいなら、海の向こうまで含めて考えなければならない。

東京は、何度も作り替えられた街だ。

水道施設が副都心に、刑務所跡が商業施設に、川が道路に変わる。東京の「新しさ」の下には、以前そこにあったものが何層にも重なっている。

大手町の将門塚から小笠原諸島まで。東京の裏側は、今見えている街を疑うところから始まる。

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東京をランキングで雑に見る

全国1位 × 4

月極駐車場代(東京都区部)

27,569円/月

最安の今治市の6倍以上!(2026年8月・全国81都市比較)「家賃か?」

ワイン・チーズ・パスタ購入額

3品目とも都市別全国1位

ワイン7,460円、チーズ9,446円、パスタ1,924円/年(2023〜2025年平均)「欧米か!?」

飲酒代(外食)

36,241円/年

全国平均の約2倍(2023〜2025年平均・東京都区部)「さすがサラリーマンの宝庫」

楽器を演奏する人の割合

14.5%

2021年社会生活基本調査・東京都の行動者率「いつ練習するの?」