映画・アニメの舞台を歩く

『千と千尋の神隠し』
の舞台を歩く

赤い橋の向こうには、どんな建物があったのか。油屋のモデルを探して歩いているうちに、映画の中の、見落としていた奇妙な仕掛けが見えてくる。

写真:Gregg Tavares / Wikimedia Commons · CC BY 2.0(表示時にトリミング)

千尋が迷い込んだ世界には、どこか見覚えのある景色が並んでいる。赤い提灯の街、古い温泉宿、華やかな門、迷路のような仕事場。

それらは本当に、映画のモデルだったのだろうか。

まずは現実の建物を巡ってみよう。その先で、名前を奪う契約書や、金を差し出すカオナシの不気味さも、少し違って見えてくる。

01あの巨大な油屋は、どこに実在するのか?

赤い橋、迷路のような廊下、天井まで届きそうな階段。油屋によく似た建物は、一つどころではない。まずは、最も有名な“候補”から訪ねてみよう。

台湾・九份の写真
写真:台湾・九份 / Wikimedia Commons · Gregg Tavares · CC BY 2.0(画像の改変なし。表示時にトリミング)
台湾・新北市

九份|誰もが思い浮かべる、赤い提灯の街

坂に重なる建物と赤い提灯。世界中で油屋のモデルと噂されている場所だ。石段から茶屋を見上げると、千尋があの橋の前で立ち尽くした場面を思い出す。

ただし、あまりに有名なこの説には、最後に意外な事実が待っている。

道後温泉本館の写真
写真:道後温泉本館 / Wikimedia Commons · z tanuki · CC BY 3.0(画像の改変なし。表示時にトリミング)
愛媛県・松山市

道後温泉本館|屋根の上に、また屋根がある

日本最古級の温泉地に建つ歴史的な公衆浴場。幾重にも重なる屋根、複雑な木組み。ひと目では建物の全体像をつかめない。

油屋も同じだ。正面から見る巨大な姿と、中で働く千尋が歩き回る空間とでは、まるで別の建物のように感じる。

積善館の写真
写真:積善館 / Wikimedia Commons · Ibaraki101c · CC BY-SA 4.0(画像の改変なし。表示時にトリミング)
群馬県・四万温泉

積善館|赤い橋の向こうに古い湯宿

この旅館には橋がある。映画に出てきたものと同じ橋ではないが、そこを渡るだけで日常から離れるような感覚がある。

映画のファンの間では、赤い橋と歴史ある本館が油屋を思わせる場所として知られている。

子宝湯の外観
写真:子宝湯 / Wikimedia Commons · Arashiyama · GFDL 1.2以降(ライセンス全文、表示時にトリミング)
東京都・小金井市

子宝湯|外からでは分からない、湯屋の中身

江戸東京たてもの園に移築された、かつての銭湯。唐破風の入口を抜ければ、番台、脱衣所、浴室と、湯屋が客を迎えるための仕掛けが続く。

油屋を単なる「大きな旅館」ではなく、大勢の客をさばく仕事場として見ると、この建物の存在感が増してくる。

日光東照宮・陽明門の写真
写真:日光東照宮・陽明門 / Wikimedia Commons · 作者は原典参照 · CC BY 4.0(画像の改変なし。表示時にトリミング)
栃木県・日光市

日光東照宮|神様を迎える建築は、なぜこんなに派手なのか

陽明門を飾る色彩と彫刻は、ひと目では数えきれないほど。豪奢なのにどこか異界めいた装飾は、油屋の過剰なまでの華やかさを連想させる。

旧・目黒雅叙園の写真
写真:旧・目黒雅叙園 / Wikimedia Commons · 作者は原典参照 · CC BY-SA 4.0(画像の改変なし。表示時にトリミング)
東京都・目黒区

旧・目黒雅叙園|宴会場のような非日常

客が驚くほど装飾された空間。油屋の上客を迎える広間も、ただの浴場ではなく、巨大な社交の舞台に見える。

武居三省堂の引き出しが並ぶ店内
写真:武居三省堂の室内 / Wikimedia Commons · TANAKA Juuyoh · CC BY 2.0
東京都・小金井市

武居三省堂|釜爺の仕事場を思わせる引き出し

小さな店舗にぎっしり詰め込まれた収納。映画の釜爺が薬草を取り出す場面を知っていると、ここにある大量の引き出しの発想が鮮やかに見える。

七つの候補を巡った、その答え

油屋という建物は、一軒だけを写し取ったものではなかった。

古い銭湯の仕組み、木造の温泉建築、華麗な装飾、ぎっしりした仕事場。映画の湯屋は、実在するさまざまな風景を思わせる要素がひとつに集まった創作の建物だ。いっぽう、九份については宮崎駿監督がモデル説を否定したと伝えられる。似ていることと、実際に参考にされたことは同じではない。

02あの赤い橋を渡ると、景色が変わる

千尋が油屋の前で渡った橋。映画では、橋の途中で息をしてはいけないという約束がある。現実の橋にも、こちら側と向こう側を分ける、独特の迫力がある。

積善館の赤い橋の写真
写真:積善館の赤い橋 / Wikimedia Commons · 作者は原典参照 · CC BY 2.0(画像の改変なし。表示時にトリミング)
群馬・四万温泉

積善館の橋|目の前に建つ宿より、まず橋が気になる

橋は短い。それでも、赤い欄干と古い建物がひと続きになった眺めには、足を踏み入れる前の小さな緊張がある。

映画の橋と完全に一致するわけではない。だが「向こうへ行ったら、元と同じ自分では戻れないかもしれない」という場面の力を考えるには、格好の風景だ。

銀山温泉の写真
写真:銀山温泉 / Wikimedia Commons · 掬茶 · CC BY-SA 4.0(画像の改変なし。表示時にトリミング)
山形・銀山温泉

銀山温泉|夜の明かりが、時代を消してしまう

川沿いの木造旅館に灯りがともると、建物の新旧より光と影が先に目に入る。映画に登場する街そのものではなく、異界の温泉街を思い起こす場所だ。

03本当に不思議なのは、油屋の「中」だった

映画の油屋は、外観だけが見どころではない。内部もまた豪華絢爛である。一方、地下の釜爺の部屋には薬草を収める引き出しが並んでいるが、現代にも非常によく似た建物が存在する。その中で、江戸東京たてもの園にある2つの施設を見てみよう。

子宝湯の外観
写真:子宝湯 / Wikimedia Commons · Arashiyama · GFDL 1.2以降(ライセンス全文、表示時にトリミング)
湯屋の表側

子宝湯|油屋を思わせる、昔ながらの銭湯

写真に写るのは、江戸東京たてもの園に移築された銭湯「子宝湯」。堂々とした唐破風の屋根と、寺社建築を思わせる入口が目を引く。庶民が通う銭湯なのに、どこか神様を迎える建物のようにも見えてくる。

油屋の豪華な外観と、湯を使って客をもてなす銭湯の姿。規模も造りも違うが、昔の日本の湯屋が持っていた独特の華やかさを、この建物から感じ取れる。

武居三省堂の引き出しが並ぶ店内
写真:武居三省堂の室内 / Wikimedia Commons · TANAKA Juuyoh · CC BY 2.0
湯屋の裏側

武居三省堂|引き出しだらけの場所が教えること

狭い空間に驚くほどの物が収まっている。釜爺の仕事場を思わせるのは、この詰め込み方だ。

油屋は神様のための夢のホテルではない。裏では誰かが手を動かし、薬草を分け、湯を沸かし続ける。ファンタジーの背景に、妙に現実的な労働がある。

04屋台の食事は神々へのお供え物だったのか?

香取神宮の祭礼で供えられる神饌
香取神宮の祭礼で供えられる神饌|写真:Katorisi · CC BY-SA 3.0(表示時にトリミング)

映画の中で店主の姿のない屋台に料理が並んでおり、父は空腹からか「お金ならあとで払えばいい」と言い、勝手に料理を口にした。結果、両親は豚になっていた。

一方、千尋はハクが差し出した食べ物を口にし、その世界に留まることができた。

同じ「異界の食事」ではあるが、両極端な結果をもたらしている。

筆者の推測ではあるが、屋台の食事は、神々へのお供え物であり、それを両親は勝手に食べたのではないだろうか?

古来日本では、神々に米、果物などをお供物として提供する風習がある。

それを無断で食べてはならない。食べると豚になってしまうという戒めを込めたストーリーだったのかもしれない。

05海列車の乗客は、どこへ向かっているのか?

水の上を走る列車。車内には透き通るような黒い人影が並び、途中の駅でもほとんど言葉が交わされない。何より奇妙なのは、千尋が「戻る方法」を知らないまま乗り込んだことだ。

オホーツク海沿いを走る釧網本線
オホーツク海沿いを走る釧網本線|写真:MaedaAkihiko · CC0 1.0(表示時にトリミング)

帰りの切符はあるのか?

写真は北海道・北浜駅付近、流氷が接岸した海岸を走る釧網本線。映画のモデルとされる鉄道ではないが、海と列車がほとんど一体になる風景は実在する。

映画の海列車は、途中で乗客が降りていく。しかし、彼らがどこから来て、どこへ帰るのかは分からない。駅に立つ人影も車内の人影も、千尋とは違う時間を生きているように見える。

水は昔から「あちら側」と「こちら側」を隔てる境界として語られてきた。三途の川の渡し舟を思い出せば、この列車を死者の乗り物と見る都市伝説が生まれるのも分かる。

だが、この場面で本当に怖いのは、誰かの正体が分からないことだけではない。千尋は知らない世界の乗客に混じって、帰り道のない旅を始めてしまったのかもしれない。

06千尋が帰ったとき、何年が過ぎていたのか?

異世界を抜けた一家の車は、ほこりと落ち葉に覆われていた。
両親は何事もなかったように話すが、時間が過ぎた証拠だけは残っている。
これはまさに浦島太郎の世界観と同じ気がしてならない。

横浜・慶運寺の浦島観世音堂
横浜・慶運寺の浦島観世音堂|写真:Fred Cherrygarden · CC BY-SA 4.0(表示時にトリミング)

浦島太郎と同じ「時の流れ」だったとしたら

横浜の慶運寺には、浦島太郎が竜宮から持ち帰ったと伝えられる観音像をまつる浦島観世音堂がある。写真はその堂内だ。異界から戻る物語は、昔話としてだけでなく土地の伝承にも残っている。

浦島太郎は竜宮で過ごして帰郷するが、故郷では何百年もの時間が過ぎていた。千尋の帰還にも、これとよく似た不気味さがある。車にはほこりが積もり、入口の様子も変わっている。

もし現実世界では想像以上の時間が流れていたとしたら? しかも、その間に起きたことを両親は覚えていない。たった一人だけ、説明のできない旅の記憶を持ち帰ったことになる。

さらに想像を広げれば、千尋が元の世界に戻れたと確信できるのは、彼女自身の記憶だけだ。あのトンネルの向こうとこちらは、本当に同じ場所だったのだろうか。

あなたはどう思いますか?