八坂神社

やさかじんじゃ

八坂神社

Photo: Jakub Hałun / Wikimedia Commons / CC BY 4.0

八坂神社|祇園祭は「お祝い」ではない? 恐るべき疫病神を祀り上げた八坂神社のダークなルーツ

京都府京都市東山区の祇園に鎮座する八坂神社は、全国に約2300社ある八坂神社および素戔嗚尊(すさのおのみこと)を祀る神社の総本社です。 古くは「祇園社」と呼ばれ、厄除けや疫病退散の神として平安時代以前から篤い信仰を集めてきました。 日本三大祭の一つに数えられる「祇園祭」は、平安時代前期に疫病を鎮めるために行われた祇園御霊会を起源とする当社の祭礼です。 本殿と拝殿が一つの大屋根で覆われた特異な建築様式「祇園造」の社殿は、国宝に指定されています。 京都の東の守護として、また祇園の町のシンボルとして、現在も昼夜を問わず信仰を集める歴史的・文化的な重要拠点です。

基本情報

名称
難波八坂神社
読み
なんばやさかじんじゃ
所在地
大阪府大阪市浪速区元町
創建・鎮座
不詳(仁徳天皇の時代と伝わる)
御祭神
素盞嗚尊、奇稲田姫命、八柱御子命
位置づけ
神道の神社
主な見どころ
境内にある舞台が、巨大な獅子の頭の形(獅子殿)をしている
主な祭事・信仰
主祭神:素盞嗚尊、奇稲田姫命、八柱御子命
祇園祭は「呪いの封じ込め」の緊急事態宣言だったCreated by are-iina

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祇園祭は「呪いの封じ込め」の緊急事態宣言だった

豪華絢爛な祇園祭ですが、これは豊作や神様の誕生を祝うお祭りではありません。 平安時代前期の貞観11年(869年)に、日本全国で疫病(パンデミック)が猛威を振るい、多数の死者が出たことがすべての始まりです。当時の人々は、疫病を「無念の死を遂げた怨霊の祟り」だと信じていました。 そこで、国の数である66本の鉾(ほこ)を立てて怨霊たちをその鉾に吸い寄せ、神輿を送って怒りを鎮めようとしたのです。 これを「祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)」と呼びます。 つまり祇園祭の山鉾は、疫病菌(怨霊)を絡め取る巨大な「空気清浄機のフィルター」のような役割を持っています。 山鉾巡行が終わった後、美しい鉾がすぐに解体されてしまうのは、「集めた厄(ウイルス)が再び散らばらないようにするため」という極めて切実な理由があるのです。

神様の正体は「インドの魔神」?Created by are-iina

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神様の正体は「インドの魔神」?

現在、八坂神社のご祭神は日本神話のヒーローである「素戔嗚尊(すさのおのみこと)」とされています。 しかし、これは明治時代の神仏分離令によって変更されたもので、江戸時代までは「牛頭天王(ごずてんのう)」という神様が祀られていました。 牛頭天王は、インドの仏教説話に由来するとされる(諸説あり)恐ろしい疫病神です。あまりにも強力な疫病を撒き散らすため、「これほど恐ろしい神様なら、逆に手厚く祀り上げれば、他の疫病から守ってくれる最強の用心棒になるはずだ」という逆転の発想で信仰されるようになりました。 素戔嗚尊もまた、ヤマタノオロチを倒す荒ぶる神であるため、いつしか牛頭天王と同一視されるようになりました。 八坂神社は、恐ろしい魔神をあえて都の中心で丁重にもてなすことで、京都を災厄から防衛する究極の「毒をもって毒を制す」システムだったのです。

「蘇民将来」の護符に隠された選民思想Created by are-iina

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「蘇民将来」の護符に隠された選民思想

祇園祭の期間中、八坂神社の関係者や氏子たちは「蘇民将来子孫也(そみんしょうらいしそんなり)」と書かれた厄除けの護符(ちまき)を玄関に飾ります。 これは、牛頭天王がみすぼらしい旅人の姿に身をやつして宿を探していた時、裕福な巨旦将来(こたんしょうらい)は冷たく追い返し、貧しい蘇民将来(そみんしょうらい)は温かくもてなしたという神話に由来します。 後に正体を明かした牛頭天王は、「今後、疫病が流行っても『蘇民将来の子孫である』という目印をつけていれば、お前の家族だけは助けてやろう」と約束し、巨旦将来の一族を滅ぼしてしまいました。 京都の町家に飾られているあの「ちまき」は、魔神に対する「うちはあの時お世話をした蘇民将来の家系ですから、絶対に呪わないでくださいね!」という、命懸けのパスポートなのです。

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