筥崎宮

はこざきぐ

筥崎宮

Photo: ぱちょぴ / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0

筥崎宮|「敵国降伏」の看板と神風の伝説。最強の軍神が「殺生を戒める」筥崎宮の矛盾

モンゴル帝国が日本に攻めてきた「元寇」。神風が吹いて日本が勝利したとされますが、その神風を起こしたと信じられているのが福岡の筥崎宮です。 楼門に掲げられた「敵国降伏」の巨大な文字の迫力! しかし、軍神を祀るこの神社で最も大事な祭りが「生き物を殺さず逃がすこと(放生会)」だという、奇妙な矛盾の謎を解き明かします。

基本情報

名称
筥崎宮
読み
はこざきぐう
所在地
福岡県福岡市東区箱崎1丁目22-1
創建・鎮座
延喜21年(921年)
御祭神
応神天皇、神功皇后、玉依姫命
位置づけ
神道の神社
主な見どころ
楼門(敵国降伏の扁額)、本殿、お潮井浜、筥松
主な祭事・信仰
地域に伝わる祭事と信仰。亀山上皇、足利尊氏、豊臣秀吉
神風を起こした「敵国降伏」の祈り

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神風を起こした「敵国降伏」の祈り

鎌倉時代、ユーラシア大陸を支配したモンゴル帝国(元)が、二度にわたって日本(九州・博多)に大軍を送り込んできました。 有名な「元寇(げんこう)」です。 博多湾のすぐそばに位置する筥崎宮は、まさに戦場の最前線でした。一度目の襲来(文永の役)で社殿は焼失してしまいますが、当時の亀山上皇は「我が身を犠牲にしても国を救ってほしい」と筥崎宮に祈願し、「敵国降伏」の文字を奉納しました。 その後、二度目の襲来(弘安の役)の際、猛烈な台風(神風)が吹き荒れ、元の巨大艦隊は海の藻屑となりました。 人々はこれを「筥崎宮の八幡様が神風を起こして国を救ってくれた」と信じ、以降、筥崎宮は国家を外敵から守る「最強の軍神」として絶対的な信仰を集めることになります。 楼門に掲げられた巨大な扁額は、亀山上皇の直筆を拡大して作られたものです。

地下に埋められた「箱」の正体

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地下に埋められた「箱」の正体

そもそも、「筥崎(箱崎)」という少し変わった地名はどこから来たのでしょうか? ご祭神である応神天皇が生まれた際、その母親である神功皇后(じんぐうこうごう)は、へその緒と胎盤(胞衣=えな)を「箱」に入れて、この地の松の木の下に埋めたと伝えられています。 「箱」を埋めた「岬(崎)」だから、箱崎。そして、神聖なものを入れる箱には竹かんむりをつけて「筥崎」と表記するようになりました。 現在でも本殿の近くには、その箱を埋めたとされる「筥松(はこまつ)」と呼ばれる神聖な松の木が青々と茂っています。

軍神なのに「殺生禁止」の祭りがメインPhoto: そらみみ / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0

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軍神なのに「殺生禁止」の祭りがメイン

筥崎宮で最も重要なお祭りは、毎年秋に行われる「放生会(ほうじょうや)」です。 博多どんたく、博多祇園山笠と並ぶ博多三大祭りの一つで、期間中は参道に数百軒の露店が立ち並び、数百万人の人でごった返します。 しかしここで矛盾が生じます。「放生会」とは、捕まえられた魚や鳥を野に放ち、「無駄な殺生を戒め、命を大切にする」という仏教由来の儀式です。 外敵を打ち倒す「軍神」を祀る神社で、なぜ「殺生を禁じる」祭りが最大行事なのでしょうか? 実はこれこそが八幡信仰の奥深さ。 「戦いで敵を殺さなければならなかったからこそ、その罪を深く懺悔し、他の生き物の命を助けることでバランスをとる」という、古代の人々の戦争に対する強烈な罪悪感と贖罪のシステムなのです。 「敵国降伏」の強気な看板の下で、命を慈しむ祭りが1000年以上続いていることに、日本人の複雑な宗教観が現れています。

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