47 PREFECTURES / OKINAWA

沖縄県の裏側

青い海の向こうに、王国と魔物と、地図には載らない物語がある。

INTRODUCTION

この島には、もう一つの歴史がある。

日本とは別の王国があり、魔物を止める石が今も路地に立つ。かつては汽車が走り、車は道路の右側を走っていた。沖縄を十の物語から歩いてみよう。

01 / 沖縄

沖縄は、かつて日本とは別の王国だった

1429年、尚巴志が三山を統一し、琉球王国が誕生した。首里城を中心に、中国や東南アジアと交易を重ねた海の王国だ。ところが1609年、薩摩藩が侵攻。国王は残ったものの、王府の政治と貿易は薩摩の強い影響を受けることになった。

琉球はその後も中国との冊封関係を続け、王国の姿を保った。支配されているのに、外国とは王国として向き合う。こうした仕組みは幕末、思いがけない外交劇につながる。1872年に琉球藩が置かれ、1879年には明治政府が沖縄県を設置。尚泰王は首里城を去った。約450年続いた王国は、こうして幕を閉じた。

02 / 沖縄

ペリーは浦賀に来る前に沖縄に来ていた

1853年5月、ペリー艦隊は浦賀より先に那覇へ姿を現した。ペリーは首里城を訪れ、琉球王府に修好を要求する。ところが琉球には厄介な事情があった。王国の名を掲げていても、1609年以来、薩摩藩の支配下にあったのだ。勝手に外国と条約を結べたのだろうか。

薩摩は中国との外交・貿易を維持するため、琉球が王国として振る舞う形を残していた。外交交渉では薩摩側の関与が表に出ないようにする場面もあった。ペリーは江戸幕府との日米和親条約締結後、再び琉球へ向かい、1854年7月11日に琉米修好条約を結ぶ。アメリカ船の補給や遭難船の救助などを定めたこの条約には、琉球側の役人が調印した。

日本の幕府とも、薩摩支配下の琉球王国とも、別々に条約を結んだペリー。沖縄の外交関係は、現在の日本地図だけを見ても分からない。

03 / 沖縄

石ころひとつ持ち帰れない「神の島」

沖縄本島南部から船で渡る久高島は、琉球の創世神話に登場する聖地だ。海と集落を歩くと、観光の看板より先に島の暮らしと祈りの場に出会う。

久高島では石や砂、植物など自然物を持ち帰らないことが求められている。島のあちこちには祈りの場所があり、フボー御嶽のように立ち入りが制限された場所もある。美しい浜の石を一つ拾う。その何気ない行為が、ここでは島の大切なものを持ち去ることになる。

04 / 沖縄

沖縄の魔物は、曲がり角を曲がれない

沖縄の路地を歩くと、家の塀やT字路の突き当たりに「石敢當」と刻んだ石を見かける。看板ではない。魔除けだ。

沖縄の伝承では、マジムンと呼ばれる魔物はまっすぐ進むとされ、道の突き当たりに石敢當を置いて災いを防ぐ。石敢當の習俗は中国にもあり、琉球の交易が持ち込んだ文化の一つと考えられる。道が終わる場所に石がある。見慣れた町角が、突然、魔物の通り道に変わる。

沖縄のお墓は、なぜ家のように大きいのか?
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05 / 沖縄

沖縄のお墓は、なぜ家のように大きいのか?

沖縄の集落の外れで、家ほどもある立派な墓に出会うことがある。曲線を描く「亀甲墓」や、屋根を備えた「破風墓」だ。

沖縄では祖先を大切にする習俗が深く根づき、旧暦の清明節の頃には親族が墓に集まる「シーミー」が行われる。墓前で供物を並べ、親族で食事を共にする光景も見られる。墓は亡くなった人を納める場所であると同時に、親族が再び集まる場所でもある。

沖縄には、仲間同士でお金を回す仕組みがある
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06 / 沖縄

沖縄には、仲間同士でお金を回す仕組みがある

飲み会の名前かと思ったら、お金の仕組みだった。沖縄の「模合(もあい)」では、仲間が定期的に集まり、一定額ずつ出し合ったお金を順番に受け取る。

結婚、商売、急な出費。まとまったお金が必要な場面を仲間同士で助ける仕組みとして続いてきた。今では資金のやり取りより、友人同士の定例会として続ける模合もある。一方、金銭を扱う以上、運営がうまくいかなければトラブルにもなる。沖縄の日常には、銀行の外にも長く続いてきた人のつながりがある。

湿布の味? 沖縄のA&Wではルートビアがおかわり無料
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07 / 沖縄

湿布の味? 沖縄のA&Wではルートビアがおかわり無料

沖縄で「エンダー」と呼ばれるハンバーガー店、A&W。名物のルートビアは、ハーブやスパイスが香る独特の炭酸飲料だ。初めて飲んだ人からは「湿布みたい」という感想も飛び出す。

沖縄のA&Wでは、店舗で提供されるルートビアのおかわり無料サービスが名物になっている。アメリカ統治下に広まった食文化が、今では沖縄の暮らしにすっかり溶け込んだ。初めての一杯で好きになるか、二度と頼まないと決めるか。旅行者の好みが分かれる一杯だ。

08 / 沖縄

沖縄には、かつて鉄道が走っていた

沖縄本島に鉄道はなかった、と思っていないだろうか。戦前の那覇には駅があり、与那原・嘉手納・糸満へ向かって軽便鉄道が走っていた。人々の足となり、砂糖や物資も運んだ。

沖縄戦で線路や駅は大きな被害を受け、県営鉄道は戦後に復活しなかった。現在のゆいレールとは別に、沖縄には一度失われた鉄道の歴史がある。与那原町には当時の駅舎を復元した展示施設があり、かつての線路の記憶をたどれる。

09 / 沖縄

沖縄戦は、地面の下でまだ終わっていない

沖縄では道路や建物の工事中に、沖縄戦で使われた砲弾や爆弾が見つかることがある。発見されれば、工事が止まり、周辺住民の避難や自衛隊による処理が必要になる場合もある。

1945年の地上戦で大量の弾薬が使われた沖縄。戦闘が終わって80年以上たっても、土の下には不発弾が残っている。新しい街をつくるために地面を掘ると、戦争の痕跡が現れる。過去の出来事のはずの戦争が、いまも暮らしを止めることがある。

10 / 沖縄

沖縄では、ある朝突然、車の走る方向が逆になった

1978年7月30日、沖縄の交通ルールが一夜で切り替わった。アメリカ統治下から続いた車の右側通行が、日本本土と同じ左側通行になったのだ。通称「ナナサンマル」。

車線だけではない。道路標識、バス停、バスの乗降口、交差点の誘導まで大きな変更が必要だった。切り替え直前には全県的に車の通行を止め、夜を徹して設備を直した。朝、いつもの道へ出ると、車は昨日と反対側を走る。1972年の日本復帰から6年後、暮らしの景色が一晩で変わった。

OKINAWA / TRIVIA

沖縄の小ネタ15

実は沖縄生まれ!

01オリオンビール

1957年に沖縄で創業したビール会社。沖縄の気候や食卓に親しまれ、地域を代表するブランドに育った。

02ブルーシール

米軍基地の中で販売されていたアイスクリーム文化がルーツ。沖縄ならではのフレーバーでも知られる。

03御菓子御殿の紅いもタルト

紅いもを使い、細長い舟形に仕上げた沖縄銘菓。土産物として定着し、県内各地で見かける。

04タコライス

1980年代、金武町で生まれたとされる料理。タコスの具材をトルティーヤではなくご飯に載せる。

05沖縄そば

そば粉を使わず主に小麦粉で作る麺料理。豚だしやかつおだしのスープ、三枚肉などの具材が特徴。

06ちんすこう

琉球王国時代から伝わる焼き菓子。小麦粉・砂糖・ラードなどを使い、軽い食感に焼き上げる。

07サーターアンダギー

丸い生地を揚げて作る沖縄の伝統菓子。「サーター」は砂糖、「アンダギー」は油で揚げたものを表す。

08泡盛

米こうじと水から造る沖縄の蒸留酒。黒こうじ菌を使うのが特徴で、古酒を育てる文化もある。

09やっぱりステーキ

沖縄で生まれたステーキチェーン。手頃な価格でステーキを楽しむ沖縄の食文化から広がった。

10かりゆしウェア

沖縄の暑い気候に合わせた半袖シャツ。ビジネスや式典でも着られ、沖縄らしい柄が用いられる。

11ジーマーミ豆腐

落花生(ジーマーミ)から作る、もっちりした豆腐状の郷土料理。甘辛いたれをかけて食べることも多い。

12スッパイマン

沖縄の菓子メーカーが展開する乾燥梅干しのブランド。甘酸っぱい味で県外にもファンが広がった。

沖縄の全国1位

人口1人あたりの延べ宿泊者数
23.10 人泊/人
2025年・順位再確認要
合計特殊出生率
1.54
2024年
離婚率
2.24 件/千人
2024年
マンゴー収穫量
2,202 t
2021年・最新順位要確認
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