それなのに、東京が首都になった日を尋ねると、様々な答えが返ってくる。
では、誰が、いつ決めたのだろうか?

日本の首都は東京。でも、法律で決まっている?
「日本の首都は?」と聞かれれば、ほとんどの人は東京と答える。国会、内閣、最高裁判所、皇居。日本の中枢が集まる街だからだ。ところが、日本国憲法には首都の所在地が書かれていない。現在、東京を首都と直接指定する現行法もない。 法律がないから首都ではない、という話ではない。むしろ、首都とは何によって決まるのか。東京が首都と呼ばれるまでの経緯をたどる。

最初は「大阪」が候補だった
1868年、新政府の中心人物・大久保利通は、大坂遷都論を建言した。京都から離れて政治の中心を築くという発想は、最初から東京一択ではなかったのだ。 巨大な商業都市・大阪にも十分な存在感があった。しかし新しい政府が最終的に拠点を構えたのは、かつて徳川幕府が支配した江戸だった。

江戸が「東京」になった日
1868年7月17日、江戸を「東京」と称する詔書が出された。東京とは「東の京」。それまでの京都に対し、東にも都を置くように響く名前だ。 ただし、この詔書がそのまま「京都から東京へ遷都する」という明示的な宣言だったわけではない。まず名前が変わり、国家の中心としての実態が後を追っていった。

明治天皇は東京に来た。そして、京都に帰った
1868年秋、明治天皇は東海道を進み、東京城へ入った。皇居となる旧江戸城に天皇が来たのだから、首都が移ったと思いたくなる。 ところが天皇は同じ年の暮れに京都へ戻っている。東京行幸は、少なくともこの時点で、誰が見ても不可逆な移住だと決まっていたわけではない。

1869年、政府も東京へ移動する
大きな転機は1869年だ。2月24日、国家の最高官庁である太政官を東京へ移転することが布告された。3月には明治天皇が再び東京へ向かう。 天皇が滞在するだけでなく、国家を動かす機関そのものが東京に移った。東京を事実上の首都と呼ぶなら、1868年の改称だけでなく、1869年の政府移転が重要な決め手となる。

なぜ「遷都します」と言わなかったのか?
京都には、千年以上にわたる朝廷の歴史があった。天皇と宮廷が離れることへの反発も強かった。 政府が「遷都」と明言せず、行幸・再幸や官庁の移転という手続きを重ねたのは、京都への政治的な配慮があったためではないか。明確な一日を定めずに、首都の実態を少しずつ移していく。京都との関係に配慮した段階的な移転だった可能性がある。

東京になったのは、いつから? 広島も一時は「臨時首都」
江戸が東京になったのは1868年。天皇と政府の中枢がそろったのは1869年。だから「東京が首都になった日」は、何をもって首都とみなすかで答えが変わる。 さらに1894年の日清戦争では、天皇と大本営が広島へ移り、臨時帝国議会まで広島で開かれた。広島市は、この時期の広島を「臨時首都の様相」と説明する。約7ヶ月、政治と軍事の中枢が一時的に集中したのだ。
日本の歴代「事実上の首都」一覧
飛鳥から東京まで、短期間の遷都と武家政権の政治拠点を時系列で示す。鎌倉・江戸の時代には、天皇のいる京都と幕府の政務拠点が別々だった。
| 年代 | 都・政治の中心 | 現在の所在地 | 特徴 |
|---|---|---|---|
| 592年頃〜 | 飛鳥の諸宮 | 奈良県明日香村周辺 | 天皇・朝廷の中心 |
| 645年〜 | 難波長柄豊碕宮 | 大阪府大阪市 | 一時的な遷都 |
| 655年〜 | 飛鳥の諸宮 | 奈良県明日香村周辺 | 飛鳥へ復帰 |
| 667年〜 | 近江大津宮 | 滋賀県大津市 | 天智天皇の遷都 |
| 672年〜 | 飛鳥浄御原宮 | 奈良県明日香村 | 天武天皇の宮 |
| 694年〜 | 藤原京 | 奈良県橿原市周辺 | 本格的な都城 |
| 710年〜 | 平城京 | 奈良県奈良市 | 奈良時代の都 |
| 740年〜 | 恭仁京 | 京都府木津川市 | 一時的な遷都 |
| 744年〜 | 難波宮 | 大阪府大阪市 | 短期間の都 |
| 745年 | 紫香楽宮 | 滋賀県甲賀市 | 短期間の都 |
| 745年〜 | 平城京 | 奈良県奈良市 | 平城京へ復帰 |
| 784年〜 | 長岡京 | 京都府向日市など | 約10年間の都 |
| 794年〜 | 平安京 | 京都府京都市 | 朝廷の中心 |
| 1180年 | 福原 | 兵庫県神戸市 | 約5か月間の遷都 |
| 1185年頃〜 | 鎌倉 | 神奈川県鎌倉市 | 幕府の政治拠点。天皇は京都 |
| 1336年頃〜 | 京都・室町 | 京都府京都市 | 幕府も朝廷も京都 |
| 1603年〜 | 江戸 | 東京都 | 幕府の政治拠点。天皇は京都 |
| 1868〜1869年〜 | 東京 | 東京都 | 天皇と政府の中心が集まる |
| 1894年9月〜1895年4月 | 広島 | 広島県広島市 | 日清戦争中、約7ヶ月間の臨時首都 |
| 1895年〜現在 | 東京 | 東京都 | 中央政治・行政の拠点 |
※「歴代の首都」という法的な称号の一覧ではありません。天皇・朝廷の所在地と、幕府など政治の中心を併記しています。広島は1894〜1895年の臨時の政治・軍事拠点です。
東京は、宣言より先に「首都」になった。
京都の反発に配慮しながら、江戸の改称、天皇の行幸、太政官の移転を段階的に進めた明治政府。東京は、ひとつの日付や一枚の法律によってではなく、政治の中心が移っていく現実によって首都になった。 その後の1894年には、日清戦争のため天皇や大本営、帝国議会が約7か月間広島に集まった。東京に政治の中心が定着した後にも、こうした例外が生じている。


