ARE-IINA / HISTORY FEATURE

首都は東京ではない?

「遷都宣言」も「首都を定める法律」もない、
日本の首都の謎

日本の首都は東京。誰もが知っている答えだ。
それなのに、東京が首都になった日を尋ねると、様々な答えが返ってくる。
では、誰が、いつ決めたのだろうか?
国会議事堂の外観
国会議事堂の外観Douglas P. Perkins / CC BY 3.0
SECTION 01

日本の首都は東京。でも、法律で決まっている?

「日本の首都は?」と聞かれれば、ほとんどの人は東京と答える。国会、内閣、最高裁判所、皇居。日本の中枢が集まる街だからだ。ところが、日本国憲法には首都の所在地が書かれていない。現在、東京を首都と直接指定する現行法もない。 法律がないから首都ではない、という話ではない。むしろ、首都とは何によって決まるのか。東京が首都と呼ばれるまでの経緯をたどる。

大阪城
大阪城 / 663highland / CC BY-SA 2.5・GFDL / Wikimedia Commons出典:Osaka_Castle_02bs3200.jpg / 663highland / CC BY-SA 2.5 / GFDL
SECTION 02

最初は「大阪」が候補だった

1868年、新政府の中心人物・大久保利通は、大坂遷都論を建言した。京都から離れて政治の中心を築くという発想は、最初から東京一択ではなかったのだ。 巨大な商業都市・大阪にも十分な存在感があった。しかし新しい政府が最終的に拠点を構えたのは、かつて徳川幕府が支配した江戸だった。

江戸城跡
江戸城跡 / Don Ramey Logan / CC BY-SA 4.0 / Wikimedia Commons出典:The_East_Gardens_of_the_Imperial_Palace_(Edo_Castle_Ruin)_entrance_by_Don_Ramey_Logan.jpg / Don Ramey Logan / CC BY-SA 4.0
SECTION 03

江戸が「東京」になった日

1868年7月17日、江戸を「東京」と称する詔書が出された。東京とは「東の京」。それまでの京都に対し、東にも都を置くように響く名前だ。 ただし、この詔書がそのまま「京都から東京へ遷都する」という明示的な宣言だったわけではない。まず名前が変わり、国家の中心としての実態が後を追っていった。

月岡芳年『武州六郷船渡図』
月岡芳年『武州六郷船渡図』Tsukioka Yoshitoshi (Yoshitoshi) / Public domain
SECTION 04

明治天皇は東京に来た。そして、京都に帰った

1868年秋、明治天皇は東海道を進み、東京城へ入った。皇居となる旧江戸城に天皇が来たのだから、首都が移ったと思いたくなる。 ところが天皇は同じ年の暮れに京都へ戻っている。東京行幸は、少なくともこの時点で、誰が見ても不可逆な移住だと決まっていたわけではない。

小堀鞆音『東京御着輦』
小堀鞆音『東京御着輦』小堀鞆音 / Public Domain Mark
SECTION 05

1869年、政府も東京へ移動する

大きな転機は1869年だ。2月24日、国家の最高官庁である太政官を東京へ移転することが布告された。3月には明治天皇が再び東京へ向かう。 天皇が滞在するだけでなく、国家を動かす機関そのものが東京に移った。東京を事実上の首都と呼ぶなら、1868年の改称だけでなく、1869年の政府移転が重要な決め手となる。

京都御所
京都御所・紫宸殿 / Legolas1024 / CC BY-SA 4.0 / Wikimedia Commons出典:京都御所紫宸殿·日本京都.jpg / Legolas1024 / CC BY-SA 4.0
SECTION 06

なぜ「遷都します」と言わなかったのか?

京都には、千年以上にわたる朝廷の歴史があった。天皇と宮廷が離れることへの反発も強かった。 政府が「遷都」と明言せず、行幸・再幸や官庁の移転という手続きを重ねたのは、京都への政治的な配慮があったためではないか。明確な一日を定めずに、首都の実態を少しずつ移していく。京都との関係に配慮した段階的な移転だった可能性がある。

広島城
広島城DonaldoKun / Public domain
SECTION 07

東京になったのは、いつから? 広島も一時は「臨時首都」

江戸が東京になったのは1868年。天皇と政府の中枢がそろったのは1869年。だから「東京が首都になった日」は、何をもって首都とみなすかで答えが変わる。 さらに1894年の日清戦争では、天皇と大本営が広島へ移り、臨時帝国議会まで広島で開かれた。広島市は、この時期の広島を「臨時首都の様相」と説明する。約7ヶ月、政治と軍事の中枢が一時的に集中したのだ。

SECTION 08

日本の歴代「事実上の首都」一覧

飛鳥から東京まで、短期間の遷都と武家政権の政治拠点を時系列で示す。鎌倉・江戸の時代には、天皇のいる京都と幕府の政務拠点が別々だった。

年代都・政治の中心現在の所在地特徴
592年頃〜飛鳥の諸宮奈良県明日香村周辺天皇・朝廷の中心
645年〜難波長柄豊碕宮大阪府大阪市一時的な遷都
655年〜飛鳥の諸宮奈良県明日香村周辺飛鳥へ復帰
667年〜近江大津宮滋賀県大津市天智天皇の遷都
672年〜飛鳥浄御原宮奈良県明日香村天武天皇の宮
694年〜藤原京奈良県橿原市周辺本格的な都城
710年〜平城京奈良県奈良市奈良時代の都
740年〜恭仁京京都府木津川市一時的な遷都
744年〜難波宮大阪府大阪市短期間の都
745年紫香楽宮滋賀県甲賀市短期間の都
745年〜平城京奈良県奈良市平城京へ復帰
784年〜長岡京京都府向日市など約10年間の都
794年〜平安京京都府京都市朝廷の中心
1180年福原兵庫県神戸市約5か月間の遷都
1185年頃〜鎌倉神奈川県鎌倉市幕府の政治拠点。天皇は京都
1336年頃〜京都・室町京都府京都市幕府も朝廷も京都
1603年〜江戸東京都幕府の政治拠点。天皇は京都
1868〜1869年〜東京東京都天皇と政府の中心が集まる
1894年9月〜1895年4月広島広島県広島市日清戦争中、約7ヶ月間の臨時首都
1895年〜現在東京東京都中央政治・行政の拠点

※「歴代の首都」という法的な称号の一覧ではありません。天皇・朝廷の所在地と、幕府など政治の中心を併記しています。広島は1894〜1895年の臨時の政治・軍事拠点です。

CONCLUSION

東京は、宣言より先に「首都」になった。

京都の反発に配慮しながら、江戸の改称、天皇の行幸、太政官の移転を段階的に進めた明治政府。東京は、ひとつの日付や一枚の法律によってではなく、政治の中心が移っていく現実によって首都になった。 その後の1894年には、日清戦争のため天皇や大本営、帝国議会が約7か月間広島に集まった。東京に政治の中心が定着した後にも、こうした例外が生じている。