明治期の工部省の建物
日本の裏側|明治の県名ミステリー

県名と県庁所在地名前が違うのはなぜ?

明治政府の嫌がらせなのか?を検証する

写真:明治期の工部省/作者不詳・Public domain / Wikimedia Commons

なぜ、仙台県は宮城県になったのか? なぜ、盛岡県は岩手県になったのか? 旧藩の名前が残った場所と、消えた場所。その違いは、幕末の敵味方とつながっているのだろうか?

47都道府県を並べてみた

左端の枠は県名と県庁所在地名の一致(緑=同じ/橙=異なる)。北海道・沖縄・神奈川(横浜)・長崎は成立事情が異なるため「別枠」(灰)とした。右端は県名の由来。緑は旧藩の城下町名、橙は郡名、青は奉行所由来、紫は広域地名、灰はその他。薄い行は行政上の理由や別制度などにより分析から除外したものだ。

同じ異なる別枠城下町名郡名奉行所名広域地名その他
比較都道府県県庁所在地主要な旧藩幕末期戊辰戦争明治政府評価県名由来
別枠北海道札幌松前藩別制度箱館戦争あり—広域地名
同じ青森青森弘前藩ほか佐幕寄り→転向同盟脱退・新政府側△町名
異なる岩手盛岡盛岡藩佐幕寄り旧幕府側で交戦×郡名
異なる宮城仙台仙台藩佐幕寄り同盟側で交戦×郡名
同じ秋田秋田久保田藩慎重新政府側で交戦○城下町名
同じ山形山形庄内藩・米沢藩佐幕寄り(主要藩)旧幕府側で交戦×城下町名
同じ福島福島会津藩ほか佐幕寄り(会津等)旧幕府側で交戦×城下町名
異なる茨城水戸水戸藩藩内対立新旧勢力が対立△郡名
異なる栃木宇都宮宇都宮藩幕府との関係深い新政府側・地域で戦闘△地名
異なる群馬前橋前橋藩譜代・幕府寄り帰順△郡名
異なる埼玉さいたま川越藩など諸藩・幕府領対応が分かれた△郡名
同じ千葉千葉佐倉藩諸藩・幕府領対応が分かれた△郡名
同じ東京東京江戸幕府幕府本拠江戸開城—行政・地名
別枠神奈川横浜神奈川奉行所奉行所支配新政府へ移管—奉行所名
同じ新潟新潟長岡藩など諸藩・幕府領長岡藩は抗戦×港町名
同じ富山富山富山藩・加賀藩領公武合体・慎重新政府側○城下町名
異なる石川金沢加賀藩(金沢)公武合体・慎重新政府側△郡名
同じ福井福井福井藩幕政改革・転換新政府側○城下町名
異なる山梨甲府甲府勤番支配幕府直轄新政府へ移管—郡名
同じ長野長野松代藩など公武合体・慎重新政府側で交戦○地名
同じ岐阜岐阜大垣藩など諸藩・幕府寄り転向・新政府側△地名
同じ静岡静岡静岡藩・幕府領幕府直轄・徳川宗家江戸開城・再編—地名
異なる愛知名古屋尾張藩(名古屋)幕政改革・転換新政府側○郡名
異なる三重津津藩幕府寄り鳥羽伏見で転向△郡名
異なる滋賀大津彦根藩譜代・幕府寄り新政府側○郡名
同じ京都京都淀藩など朝廷・幕府機関混在新政府の中心—都市名
同じ大阪大阪岸和田藩など幕府拠点新政府へ移管—都市名
異なる兵庫神戸姫路藩幕府領・諸藩諸藩で対応差△港町名
同じ奈良奈良郡山藩幕府直轄・諸藩新政府へ移管△都市名
同じ和歌山和歌山紀州藩徳川御三家帰順△城下町名
同じ鳥取鳥取鳥取藩尊王寄り新政府側○城下町名
異なる島根松江松江藩親藩・幕府寄り帰順△郡名
同じ岡山岡山岡山藩尊王・新政府寄り新政府側○城下町名
同じ広島広島広島藩討幕協力・大政奉還新政府側◎城下町名
同じ山口山口長州藩(山口藩)討幕主導新政府軍の中心◎城下町名
同じ徳島徳島徳島藩公武合体・慎重新政府側○城下町名
異なる香川高松高松藩親藩・幕府支持旧幕府側・降伏×郡名
異なる愛媛松山松山藩ほか諸藩・親藩中心松山藩など旧幕府側×広域地名
同じ高知高知土佐藩(高知)大政奉還・討幕関与新政府軍の主力◎城下町名
同じ福岡福岡福岡藩ほか幕府重視・慎重新政府側△城下町名
同じ佐賀佐賀佐賀藩慎重→新政府中枢新政府軍の主力◎城下町名
別枠長崎長崎長崎奉行所奉行所支配新政府へ移管—奉行所名
同じ熊本熊本熊本藩公武合体・慎重新政府側○城下町名
同じ大分大分岡藩ほか諸藩で異なる新政府側中心・混在△郡名
同じ宮崎宮崎飫肥・延岡・佐土原など諸藩で異なる新旧両陣営が混在△郡名
同じ鹿児島鹿児島薩摩藩(鹿児島)討幕主導新政府軍の中心◎城下町名
別枠沖縄那覇琉球王国琉球王国・別制度対象外—広域地名

並べて見えてくる、3つのパターン

01

味方には、城下町の名前も県庁も残した

鹿児島・山口・高知・広島・佐賀。明治政府の成立に深く関わった藩では、旧城下町の名前が県名として残り、その都市が県庁所在地になっている。

新時代の中心都市として、これまでの城下町をそのまま使った形だ。

02

敵には、県庁を残しても県名だけ変えた?

仙台は宮城、盛岡は岩手、松江は島根、高松は香川。いずれも旧城下町に県庁を置きながら、県名には郡名を採用している。

城下町としての実用性は認める。しかし県の「看板」は変える。これは、敵対した藩への軽いペナルティだったのだろうか。

03

強硬な敵からは、県庁所在地まで外した?

会津藩23万石の若松ではなく、福島藩3万石の福島。庄内藩17万石・米沢藩15万石の鶴岡・米沢ではなく、山形藩5万石の山形。

どちらも有力城下町が県の中心から外れた。県庁を置く町は、役所・学校・商業が集まり、将来の発展につながる。明治政府がそこまで見越していたとしたら、ずいぶん周到な話である。

福島・山形で起きた、小藩への逆転

小さな藩の城下町が、新しい県の中心になる。単なる行政の都合だったのか、それとも新政府が旧幕府側の大藩に主導権を渡したくなかったのか。真相は分からない。だからこそ気になる。

明治政府の政治的な意図は明らか。敵対度合いで対応を調整か?

幕末の勝者と敗者を並べると、県名や県庁所在地の扱いに、単なる偶然とは思いにくい違いが見えてくる。

味方には城下町名を残す。敵には県名を変える。そして、強く抵抗した有力藩からは県庁所在地まで外す。

もちろん、現場では県の統廃合や交通の便、人口、県庁の移転といった調整も行われた。すべての変更が嫌がらせだったとは言えない。

しかし、行政上の理由があったからといって、政治的な意図がなかったとも限らない。なかには嫌がらせと受け取られても不思議でない選択もある。

明治政府は、旧藩を廃止するだけでなく、敵対の度合いを見ながら、新しい地図での扱いを変えていたのではないか。