高取城

たかとりじょう

高取城

Photo: 8-hachiro / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0

高取城|標高583.6mの山上に「近世城郭」を持ち上げた、規格外の山城

高取城を、標高583.6mの山上に「近世城郭」を持ち上げた、規格外の山城という切り口から読み直します。一般的な城の概要を並べるのではなく、この城でしか成立しない出来事と、現在の姿とのずれを入口にします。

基本情報

名称
高取城(たかとりじょう)
読み
たかとりじょう
別名
芙蓉城
所在地
奈良県高市郡高取町高取
築城時期
1332年に越智氏が築いたとされ、1585年以降に本多氏が近世城郭として整備
築城者
越智邦澄(後に本多利久らが改修)
現在の城郭
建物は残らず、本丸・二の丸・三の丸などの石垣と登城路が残る
文化財・指定
国指定史跡。日本100名城。日本三大山城の一つ
名前
高取城
「高い山城」だけでは足りない。規模まで大きいPhoto: Mebiusu~jawiki / Wikimedia Commons / CC BY 3.0

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「高い山城」だけでは足りない。規模まで大きい

高取城の本丸は標高583.6mの高取山にあります。麓から天守台までの高低差は約390m。それだけでも十分に規格外ですが、驚くのは高さだけではありません。 城内には大小の天守、27の櫓、33の門があったとされ、城内周囲は約3kmに及びます。 「険しい山頂の小さな砦」という山城のイメージで訪れると、石垣が次々に現れる広さに感覚が狂います。高取城の異様さは、高さと大規模な近世城郭の構成が同居していることです。

中世の山城が、そのまま近世城郭へ巨大化した

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中世の山城が、そのまま近世城郭へ巨大化した

高取城の始まりは1332年、越智氏の築城と伝えられます。当初から現在のような石垣の巨大城郭だったわけではありません。 戦国末期、筒井氏による再建を経て、1585年に豊臣秀長の家臣・本多氏が入ると、山上に石垣や天守・櫓・門を備える近世城郭へ整備されていきました。 つまり高取城は、「山城だから古い形のまま残った城」ではありません。山という立地を捨てずに、城郭の方を近世仕様へ大きく作り替えた。その組み合わせが、ほかの平城とはまったく違う景観を生みました。

建物が消えたあと、山上だったことが遺構を守ったPhoto: 投稿者が撮影 / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0

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建物が消えたあと、山上だったことが遺構を守った

現在の高取城には天守や櫓は残っていません。 しかし、本丸・二の丸・三の丸などの石垣や登城路は良好に残されています。 奈良県の保存活用計画では、山頂部に位置したことが、廃城後に大規模な開発を受けにくく、遺構が保存される一因になったと説明されています。 森の中に突然現れる巨大な石垣は「遺跡っぽい雰囲気」が魅力ですが、それだけではありません。 建物がなくなったことで、山の地形を削り、石垣で平場を積み上げた城郭の骨格そのものが見えやすくなっています。

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