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武田氏滅亡の最終防衛線と仁科盛信の壮絶な玉砕
天正十年(1582年)、織田信長による武田氏討伐(甲州征伐)の軍勢が怒涛の勢いで信濃国へ侵攻した。 武田家麾下の城主たちが次々と戦わずして逃亡・降伏する中、高遠城の城主であった仁科盛信(武田信玄の五男)だけは、わずか三千の兵とともに城に立て籠もり、織田軍の総大将・織田信忠が率いる約五万の圧倒的大軍を迎え撃った。 信忠からの降伏勧告の使者の耳を削ぎ落として拒絶した盛信は、城の周囲の急峻な谷と深い空堀を利用して激しい防衛戦を展開する。 城内は血で血を洗う凄惨な白兵戦となり、武田軍の将兵は女子供に至るまで次々と討死するか自刃に追い込まれた。 盛信自身も自らの腹を十文字に切り裂き、腸を壁に投げつけて壮絶な最期を遂げたと伝えられている。 高遠城の陥落により武田氏の組織的な軍事抵抗は完全に崩壊し、数日後に当主の武田勝頼が天目山で自刃して名門武田家は滅亡することとなる。



Photo: MaedaAkihiko / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0