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前田利長の隠居城とキリシタン大名・高山右近による縄張り
慶長十年(1605年)、加賀藩第二代藩主の前田利長は、異母弟の利常に家督を譲って富山城へと隠居したが、火災によって城が焼失したため、関野(現在の高岡)の地に新たな隠居城の建設を開始した。 慶長十四年(1609年)に入城して「高岡」と命名されたこの城郭の縄張り(設計)を担当したのは、利長の客将として前田家に庇護されていたキリシタン大名・高山右近であると伝えられている。 高山右近は西欧の築城技術の知識も持っていたとされ、高岡城の設計においては、平野部の軟弱な地盤を考慮して大規模な石垣を用いず、総面積の約三分の一を水堀が占めるという極端に水防能力の高い構造を採用した。 本丸を中心にして二の丸、明丸、鍛冶丸などが複雑な水堀で隔離されており、敵が直線的に侵入することを物理的に不可能にする高度な土木設計が施されていた。



