関宿城

せきやどじょう

関宿城

Photo: Yoshio Kohara / Wikimedia Commons / CC BY 3.0

関宿城|江戸を守るために「川底」に沈んだ城。関東の巨大水運を支配した関宿城の数奇な運命

関宿城を、江戸を守るために「川底」に沈んだ城。関東の巨大水運を支配した関宿城の数奇な運命という切り口から読み直します。一般的な城の概要を並べるのではなく、この城でしか成立しない出来事と、現在の姿とのずれを入口にします。

基本情報

名称
関宿城
読み
せきやどじょう
別名
確認できる代表的な別名なし
所在地
千葉県野田市関宿三軒家(※現在は千葉県立関宿城博物館)
築城時期
室町時代中期(簗田満助による伝承)
築城者
簗田満助
現在の城郭
のどかな川の風景に映えるお城ですが、現在建っているこの場所は、実は「本当の関宿城があった場所」ではありません。
文化財・指定
記事本文に文化財・指定情報の明記なし
「水上交通を制する者は関東を制す」Photo: Unknown authorUnknown author / Wikimedia Commons / CC BY 4.0

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「水上交通を制する者は関東を制す」

戦国時代、道が整備されていなかった関東平野において、最も重要で大量の物資を運べるルートは「川(水運)」でした。 関宿城は、関東最大の川である利根川の要衝に位置し、ここを押さえれば関東中の物資と人の流れを完全にストップさせることができる「絶対防衛線(首根っこ)」でした。 そのため、北条氏康や上杉謙信といった戦国大名たちが、この関宿城を巡って血みどろの激戦(関宿合戦)を何度も繰り広げたのです。 北条氏康は「関宿を手に入れることは、一国を手に入れるのと同じだ」と豪語したほどです。

家康が行った巨大土木工事「利根川東遷」Photo: Marufish / Wikimedia Commons / CC BY-SA 2.0

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家康が行った巨大土木工事「利根川東遷」

江戸時代に入ると、徳川家康は江戸の街を水害から守り、さらに水上交通のルートを整備するため、「利根川東遷(とねがわとうせん)」という日本史上最大規模の川の付け替え工事を行いました。 もともと東京湾に注いでいた利根川の流れを、人工的に東へ曲げて太平洋(銚子)へ流れるようにしたのです。 この結果、関宿城は「利根川と江戸川が分岐するど真ん中」という、さらに超重要なポジションに置かれることになりました。 幕府はここを江戸防衛と経済の最重要拠点とし、老中クラスの譜代大名(久世氏など)を城主として配置しました。 関宿は「川に浮かぶ巨大な要塞兼・料金所」として莫大な富を生み出したのです。

川幅を広げるために「城」が削られた

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川幅を広げるために「城」が削られた

しかし、明治時代から大正・昭和にかけて、頻発する水害から首都圏を守るため、政府は利根川と江戸川の川幅を大幅に広げる大規模な治水工事を行いました。 この時、二つの川の分岐点にあった関宿城の城跡は、川幅を広げるための工事の邪魔になってしまいました。 そのため、本丸や二の丸の敷地の大部分がブルドーザーなどで削り取られ、かつての城のメインエリアは「川の底(河川敷や水路)」へと姿を消してしまったのです。 現在私たちが目にしている天守閣は、平成7年(1995年)に、かつての城跡から少し離れた安全な場所に「博物館」として建てられたものです。 形は江戸時代の姿(御三階櫓)を模していますが、本物の城は、今も関東を潤す巨大な川の流れの底に静かに沈んでいます。

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