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土井利勝による近世城郭化と「土の城」の極致
佐倉の地は、戦国時代には千葉氏の一族である鹿島氏が本拠を構えた場所であったが、江戸幕府が成立すると、江戸の東(房総半島方面)を抑える軍事・交通の要衝としてその戦略的価値が再評価された。 慶長十五年(1610年)、徳川秀忠の側近であり後に大老となる土井利勝が三万二千石(のちに十万石以上)で入封し、約七年の歳月をかけて近代的な城郭への大改修を行った。 佐倉城の建築的特徴は、巨大な城郭でありながら石垣を一切用いず、関東ローム層の粘土質な地盤を削り出した巨大な空堀(からぼり)と、掘り出した土を高く盛り上げた土塁(どるい)によって防衛ラインを構築している点にある。 本丸には天守の代わりに三層四階の「御三階櫓(ごさんかいやぐら)」が造営され、周囲には水堀と泥田状の湿地帯を配置することで、敵の直進を物理的に阻む関東特有の「土の要塞」の完成形が築き上げられた。



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