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石田三成の大規模な「水攻め」
1590年、豊臣秀吉による小田原征伐の一環として、石田三成が数万の大軍を率いて忍城(おしじょう)を包囲しました。忍城の守将(成田氏長ら)が出払っており、城内には農民を含めわずか数千人しかいませんでした。 三成は力攻めを避け、秀吉の得意戦術である「水攻め」を実行します。城の周囲に総延長28キロメートルにも及ぶ巨大な堤防(石田堤)をわずか1週間で築き上げ、川の水をせき止めて城を水没させようとしました。

おしじょう
忍城
Photo: Saigen Jiro / Wikimedia Commons / CC0
忍城を、水攻めが効かない! 忍城の「沈まない」奇跡の地形という切り口から読み直します。一般的な城の概要を並べるのではなく、この城でしか成立しない出来事と、現在の姿とのずれを入口にします。

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1590年、豊臣秀吉による小田原征伐の一環として、石田三成が数万の大軍を率いて忍城(おしじょう)を包囲しました。忍城の守将(成田氏長ら)が出払っており、城内には農民を含めわずか数千人しかいませんでした。 三成は力攻めを避け、秀吉の得意戦術である「水攻め」を実行します。城の周囲に総延長28キロメートルにも及ぶ巨大な堤防(石田堤)をわずか1週間で築き上げ、川の水をせき止めて城を水没させようとしました。

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しかし、水かさが増しても、忍城の心臓部である本丸は沈みませんでした。周囲の村々が水没していく中、城だけが水の上にぷかぷかと浮いているように見えたため、「浮き城」という伝説が生まれました。 実はこれ、魔法でもなんでもなく「絶妙な地形」のおかげでした。忍城は広大な沼地の中に小島のように点在する自然の微高地を繋ぎ合わせて作られており、本丸が一番高い位置にあったため、堤防で囲った程度の水位では沈みきらなかったのです。

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水攻めが長引く中、予想外の結末が訪れます。数日降り続いた大雨により、せき止めていた水圧に耐えきれなくなった「三成側の堤防」が突然決壊したのです。 大量の濁流が攻撃軍である三成の陣営を直撃し、数百人の兵が濁流に飲み込まれて溺死するという大惨事になってしまいました。結局、忍城は小田原城の本城が降伏するまで持ち堪え、最後まで武力で落とされることはありませんでした。大自然の沼地を利用した、究極のエコ要塞です。
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