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垂直の崖が生んだ「難攻不落」
岡城(おかじょう)の最大の武器は、その異常な地形です。 阿蘇山の大噴火による火砕流が固まってできた台地が、長い年月の間に川に削られ、周囲がほぼ垂直の断崖絶壁になっています。 その崖の上に、さらに石垣を積んで城を作りました。 下から攻め上るのは物理的に不可能に近く、ドローン空撮などで見ると、まるで巨大な軍艦が山の中に浮いているような異様な光景が広がっています。

おかじょう
岡城
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岡城を、九州最強の島津軍を、たった数千人で追い返した断崖絶壁の要塞。後に滝廉太郎がこの廃墟を歩き、名曲『荒城の月』を生み出した。という切り口から読み直します。一般的な城の概要を並べるのではなく、この城でしか成立しない出来事と、現在の姿とのずれを入口にします。
Photo: Mukai / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.001
岡城(おかじょう)の最大の武器は、その異常な地形です。 阿蘇山の大噴火による火砕流が固まってできた台地が、長い年月の間に川に削られ、周囲がほぼ垂直の断崖絶壁になっています。 その崖の上に、さらに石垣を積んで城を作りました。 下から攻め上るのは物理的に不可能に近く、ドローン空撮などで見ると、まるで巨大な軍艦が山の中に浮いているような異様な光景が広がっています。

02
この城の強さが証明されたのが、1586年の「豊薩合戦」です。 九州統一を目指す強大な島津軍(約数万)が、わずかな兵力しかいない岡城に攻め寄せました。 しかし、城主の中川氏(当時は志賀氏)は、この断崖絶壁と鉄砲を巧みに利用して徹底抗戦。 島津軍は何度攻めても崖を登ることができず、城兵の奇襲も受けてボロボロになり、ついに岡城を落とせないまま撤退を余儀なくされました。 九州最強の軍隊が、自然の要塞に敗北したのです。

03
時は流れ、明治時代。役目を終えた岡城の建物はすべて取り壊され、石垣だけが残る廃墟(荒城)となっていました。 竹田市で少年時代を過ごした天才作曲家・滝廉太郎は、よくこの岡城跡に登って遊んでいました。 かつての栄華と、今は草むす石垣だけの静かな風景。 その寂寥感が彼の胸に深く刻まれ、のちに日本を代表する名曲『荒城の月』のメロディとして結実しました。 最強の軍事要塞は、日本で最も美しい哀愁のシンボルへと姿を変えたのです。
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