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寒村に5ヶ月で現れた巨大城郭
1592年、豊臣秀吉は朝鮮・明への侵攻を決定し、前線基地となる城の建設を命じます。場所は九州の北端、佐賀県の名護屋(なごや)という何もない静かな漁村でした。 全国の大名が動員され、黒田官兵衛や加藤清正らの指揮のもと、突貫工事が行われました。なんとわずか5ヶ月という信じられないスピードで、大天守を備えた広大な城郭(当時の大坂城に次ぐ規模)が完成してしまったのです。

なごやじょう
名護屋城
Photo: Aboshi at Japanese Wikipedia / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
名護屋城を、愛知の名古屋城じゃない! 佐賀県の寒村に突如出現し、わずか7年で消滅した「豊臣秀吉の幻のメガロポリス」。という切り口から読み直します。一般的な城の概要を並べるのではなく、この城でしか成立しない出来事と、現在の姿とのずれを入口にします。

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1592年、豊臣秀吉は朝鮮・明への侵攻を決定し、前線基地となる城の建設を命じます。場所は九州の北端、佐賀県の名護屋(なごや)という何もない静かな漁村でした。 全国の大名が動員され、黒田官兵衛や加藤清正らの指揮のもと、突貫工事が行われました。なんとわずか5ヶ月という信じられないスピードで、大天守を備えた広大な城郭(当時の大坂城に次ぐ規模)が完成してしまったのです。

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城の完成に伴い、周囲の山々には徳川家康、伊達政宗、上杉景勝など、日本中のオールスター大名たちが130箇所以上もの陣屋(別荘のような拠点)を構えました。 兵士や商人、芸人なども全国から大挙して押し寄せ、元は数十戸しかなかった漁村の人口は、一気に「10万人以上」へと爆発的に膨れ上がりました。能の興行や茶会が連日開かれるなど、名護屋は日本で二番目に大きな、狂騒に満ちたバブル大都市へと変貌したのです。
Photo: Umako / Wikimedia Commons / CC003
しかし、このメガロポリスの寿命はあっけないものでした。 1598年に秀吉が死去すると、朝鮮出兵は中止され、全国の大名たちは一斉に自分の領地へと帰っていきました。残された巨大な名護屋城は、後の唐津藩の築城資材として解体され、石垣も反乱の拠点にならないように意図的に破壊されました(破城)。わずか7年間だけ存在し、夢のように消え去った幻の大都会の跡は、現在では静かな草むらへと戻っています。
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