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二つの河川と断崖絶壁を利用した天然の要害
長篠城は、奥三河を流れる豊川(旧称:寒狭川)とその支流である宇連川が合流する舌状台地の先端に築城されている。 城の南側と西側は、河川の浸食によって形成された数十メートルの垂直に近い断崖絶壁となっており、物理的に敵が壁を登って侵攻することは極めて困難な地形であった。 城の北側から東側にかけての平坦地には、本丸を中心に複数の曲輪を直線的に配置し、それらを深い空堀と土塁で区切るという防御構造を採用している。 このため、敵が城を攻めるためには、防備が最も厚い北側の正面から力攻めを行う以外に有効な戦術が存在しなかった。 室町時代後期に菅沼氏によって築かれたこの城郭は、三河・遠江・信濃の国境が交差する交通の要衝を扼する軍事拠点として、戦国期を通じて今川氏、徳川氏、武田氏といった強大な勢力の間で激しい領土争いの標的となった。



Photo: Otiai Saheiji Michihisa / Wikimedia Commons / Public domain