本佐倉城

もとさくらじょう

本佐倉城

Photo: 柴錬アワー / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0

本佐倉城|森の中にパックされた「土の迷路」。名門・千葉氏が造り上げた本佐倉城の巨大な祭祀空間

本佐倉城を、森の中にパックされた「土の迷路」。名門・千葉氏が造り上げた本佐倉城の巨大な祭祀空間という切り口から読み直します。一般的な城の概要を並べるのではなく、この城でしか成立しない出来事と、現在の姿とのずれを入口にします。

基本情報

名称
本佐倉城
読み
もとさくらじょう
別名
確認できる代表的な別名なし
所在地
千葉県印旛郡酒々井町本佐倉・佐倉市大佐倉
築城時期
文明年間(1469〜1486年) 千葉輔胤による
築城者
千葉輔胤
現在の城郭
その後、完全に廃城となった本佐倉城ですが、現在では見事に草刈りがされ、迷路のような空堀や土塁の底を実際に歩いて体感することができます。
文化財・指定
ここに、日本100名城(続日本100名城)にも選ばれている国指定史跡「本佐倉城(もとさくらじょう)」が眠っています。
一切の石垣を使わない「関東最大の土の城」Photo: 柴錬アワー / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0

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一切の石垣を使わない「関東最大の土の城」

本佐倉城の最大の特徴は、その保存状態の良さです。 豊臣秀吉の小田原攻めによって千葉氏が滅亡した後、江戸時代初期に少しだけ使われましたが、すぐに隣の「佐倉城」へ機能が移転されたため、この本佐倉城は「戦国時代の姿のまま」森の中にフリーズドライされたように保存されました。 城内を歩くと、「屏風折(びょうぶおれ)の土塁」と呼ばれる、ノコギリの歯のようにジグザグに折れ曲がった巨大な土の壁に圧倒されます。 敵が堀底を進むと、必ず横や斜めから弓矢で射抜かれる(横矢掛かり)よう計算された恐怖のキルゾーンです。 石を一切使わず、関東ローム層の粘土質の土を削って叩き固めるだけで、これほどシャープで複雑な軍事防衛ラインが作れるのかと、当時の土木技術の高さに驚かされます。

城のど真ん中に「巨大な宗教施設」がある理由

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城のど真ん中に「巨大な宗教施設」がある理由

本佐倉城のさらにユニークな点は、城の中心部(本丸のすぐ隣の最も重要な場所)に、「妙見宮(みょうけんぐう)」という巨大な宗教施設(神社)を配置していたことです。 千葉氏は一族の守護神として、北極星や北斗七星を神格化した「妙見菩薩(妙見信仰)」を狂信的なまでに崇拝していました。 そのため、純粋な軍事要塞であるはずのお城のど真ん中に、一族のアイデンティティである妙見様を祀る巨大な祭祀空間をドカンと組み込んだのです。 戦いの前にはここで必勝を祈願し、一族の重要な会議も神の御前で行われたと考えられています。 軍事施設と宗教施設が完全にフュージョン(融合)しているという点において、本佐倉城は戦国武将の精神世界を読み解くための最高のタイムカプセルなのです。

徳川家康も一時利用したポテンシャルの高さPhoto: 柴錬アワー / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0

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徳川家康も一時利用したポテンシャルの高さ

豊臣秀吉によって千葉氏が滅ぼされた後、関東に入ってきた徳川家康は、江戸の東を守る拠点として、家臣の松平忠輝(家康の六男)や小笠原吉次らにこの本佐倉城を与え、そのまま利用させました。 新しい城を建てるまでの間とはいえ、天下人である家康の軍勢がそのまま「使える」と判断するほど、千葉氏が築き上げた土の要塞の完成度が高かったことの証明です。 その後、完全に廃城となった本佐倉城ですが、現在では見事に草刈りがされ、迷路のような空堀や土塁の底を実際に歩いて体感することができます。 「何もない森」ではなく、「土で作られた完璧な要塞」の美しさを、ぜひ現地で味わってみてください。

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