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川中島の戦いを見据えた山本勘助による縄張りと「海津城」の築造
永禄三年(一五六〇年)頃、信濃国への侵攻を進める武田信玄は、越後国の上杉謙信の南下を食い止めるための最重要防衛ラインとして、千曲川のほとりに「海津城」を築城した。 甲陽軍鑑などの軍記物によれば、築城の縄張り(設計)を担当したのは武田家の伝説的な軍師・山本勘助であるとされる。城は千曲川の旧河道に囲まれた自然堤防の上に築かれ、背後を流れる千曲川の急流を天然の巨大な巨大な外堀として利用する極めて実戦的な構造(後堅固の城)であった。 永禄四年(一五六一年)の第四次川中島の戦いにおいて、海津城は武田軍の重要な補給・前線基地として機能し、妻女山に陣を敷いた上杉軍と対峙した。 信玄の弟である武田信繁や山本勘助が戦死する激戦の舞台裏で、武田軍の戦略的基盤を支え続けた軍事要塞である。



