古河城

こがじょう

古河城

Photo: by Monado / Wikimedia Commons / CC BY-SA 2.5

古河城|関東の「もう一つの都」は川底に沈んだ。雪の殿様を生んだ巨大水城・古河城の完全消滅ミステリー

古河城を、関東の「もう一つの都」は川底に沈んだ。雪の殿様を生んだ巨大水城・古河城の完全消滅ミステリーという切り口から読み直します。一般的な城の概要を並べるのではなく、この城でしか成立しない出来事と、現在の姿とのずれを入口にします。

基本情報

名称
古河城
読み
こがじょう
別名
確認できる代表的な別名なし
所在地
茨城県古河市(※現在は渡良瀬川の河川敷および堤防の下)
築城時期
平安時代末期〜鎌倉時代初期(下河辺氏による伝承)
築城者
下河辺氏
現在の城郭
近代の治水工事で「城ごと川底」に沈む 歴史の中心であり、科学の舞台でもあった古河城ですが、現在の地図を見ると、城があったはずの場所のど真ん中を「渡良瀬川」が流れています。
文化財・指定
記事本文に文化財・指定情報の明記なし
将軍の代理人「古河公方」が君臨した関東の都

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将軍の代理人「古河公方」が君臨した関東の都

室町時代、京都の室町幕府は関東を治めるため、将軍の親戚を「鎌倉公方(かまくらくぼう)」として派遣していました。いわば関東の副将軍です。 しかし、やがて鎌倉公方(足利成氏)は京都の幕府と対立して反乱を起こし、鎌倉を追われてしまいます。 その彼が逃げ込み、新たな本拠地としたのがこの「古河城」でした。 以降、彼らは「古河公方」と名乗り、古河の街は京都の幕府から独立した「関東のもう一つの都」として、約130年間にわたって独自の巨大な権力を誇ったのです。 古河城は、渡良瀬川の水と無数の沼を天然の堀として利用した、攻めるのが極めて困難な巨大な水城(要塞)でした。

日本初の「雪の結晶」を研究した雪の殿様

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日本初の「雪の結晶」を研究した雪の殿様

江戸時代になると、古河城には幕府の重鎮である譜代大名(土井氏など)が配置されました。その中で最もユニークな城主が、江戸時代後期の土井利位(どいとしつら)です。 土井利位は、オランダから輸入された「顕微鏡」を使い、なんと日本で初めて「雪の結晶」を科学的に観察・研究した大名です。 彼は20年以上にわたって雪の結晶をスケッチし続け、『雪華図説(せっかずせつ)』という図鑑を出版しました。 この美しい雪の結晶の模様(雪華模様)は、江戸の庶民の着物や小物のデザインとして大流行しました。 巨大な水城の奥深くで、顕微鏡を覗き込んで雪の美しさに魅了された「雪の殿様」。古河城は、軍事拠点であると同時に、最先端のサイエンスラボでもあったのです。

近代の治水工事で「城ごと川底」に沈む

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近代の治水工事で「城ごと川底」に沈む

歴史の中心であり、科学の舞台でもあった古河城ですが、現在の地図を見ると、城があったはずの場所のど真ん中を「渡良瀬川」が流れています。 明治時代以降、頻発する渡良瀬川の大洪水から首都圏を守るため、政府は大規模な治水工事(河川の改修)を行いました。その際、洪水を安全に流すための新しい川のルートとして「古河城の本丸や二の丸の敷地」が選ばれてしまったのです。 大正時代にかけて、城の土塁は切り崩され、堀は埋められ、巨大なお城の敷地の大部分がブルドーザーで削り取られて「川の底(河川敷や堤防)」へと姿を消しました。(千葉県の関宿城と同じ悲劇です)。 現在、古河城の本丸があった場所を示すのは、土手の上にポツンと立つ標柱だけです。関東の覇権を握り、美しい雪の結晶の研究を生んだ幻の巨大要塞は、今も悠々と流れる渡良瀬川の水底に、その壮大な歴史を沈めています。

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