笠間城

かさまじょう

笠間城

Photo: by Monado / Wikimedia Commons / CC BY-SA 2.5

笠間城|関東では超レアな「石垣の山城」。明治の破壊を逃れて「お寺」に引っ越した笠間城の櫓の奇跡

笠間城を、関東では超レアな「石垣の山城」。明治の破壊を逃れて「お寺」に引っ越した笠間城の櫓の奇跡という切り口から読み直します。一般的な城の概要を並べるのではなく、この城でしか成立しない出来事と、現在の姿とのずれを入口にします。

基本情報

名称
笠間城
読み
かさまじょう
別名
確認できる代表的な別名なし
所在地
茨城県笠間市笠間
築城時期
元久2年(1205年) 笠間時朝による
築城者
笠間時朝
現在の城郭
さらに、明治時代の廃城令による取り壊しの嵐の中で、城の建物が「意外すぎる場所」へと逃げ込んで現在まで生き延びているという、非常に珍しい奇跡のストーリーを持っています。
文化財・指定
記事本文に文化財・指定情報の明記なし
関東では珍しい「総石垣」の天空要塞Photo: by Monado / Wikimedia Commons / CC BY-SA 2.5

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関東では珍しい「総石垣」の天空要塞

笠間城の歴史は古く、鎌倉時代に宇都宮氏の一族である笠間氏によって築かれました。その後、豊臣秀吉の小田原攻めによって笠間氏が滅亡すると、秀吉の家臣である浅野長政(あさのながまさ)らの手に渡りました。 笠間城を現在のような「石垣の城」に大改修したのは、江戸時代初期に入ってきた大名たちです。 関東地方の山城は、大半が土塁と空堀で造られていますが、笠間城は山頂の本丸周辺が立派な石垣で囲まれていました(群馬の金山城などと並ぶレアケースです)。 さらに珍しいのは、江戸時代に入って世の中が平和になっても、笠間藩の殿様たちはこの「不便な山頂の城(本丸)」を捨てずに、幕末までずっと手入れをして維持し続けたことです(多くの大名は、山を降りて麓に平屋の御殿を建てて住みました)。 そのため、笠間城は江戸時代を通じて「関東で唯一、現役で使われ続けた本格的な山城」となりました。

お城の櫓が「お寺の仏堂」に大変身Photo: by Monado / Wikimedia Commons / CC BY-SA 2.5

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お城の櫓が「お寺の仏堂」に大変身

明治維新を迎えると、日本全国のお城は「無用の長物」として次々と取り壊されました(廃城令)。 笠間城の立派な建物も例外ではなく、次々と解体・売却されていきました。 しかし、城の本丸にあった「八幡台櫓(やはただいやぐら)」という2階建ての立派な建物だけは、奇跡的な運命を辿ります。 この櫓を買い取った地元の人が、なんと笠間市内にある「真浄寺(しんじょうじ)」というお寺にこの建物をそっくりそのまま寄付(移築)したのです。 お寺はこの櫓を「七面堂(仏様を祀るお堂)」として再利用しました。 現在でも、真浄寺の境内に行けば、かつて山頂で敵を監視していた武士の櫓が、お寺のお堂として静かに余生を送っている姿を見ることができます。

東日本大震災の被害と修復への祈り

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東日本大震災の被害と修復への祈り

笠間城の山頂に残されていた美しい石垣群ですが、2011年の東日本大震災の激しい揺れによって、その一部が崩落するという大きな被害を受けてしまいました。 現在、笠間市ではこの貴重な石垣を保存・修復するための息の長いプロジェクトが進められています。 中世の武将のロマンと、江戸時代の殿様の意地、そして明治の解体を逃れたお寺への引っ越し。 佐白山の森の中に眠る笠間城の石垣には、幾多の時代を生き抜いてきた強靭なサバイバルの歴史が刻まれています。

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